九月四日(火)己亥(舊七月廿五日) 曇天強風一時日がさす

 

いやあ、面白かつた。『負け犬のブルース』 です。終りのはうは、ちよいとドタバタが過ぎるかなと思ひましたが、それも映畫を見てゐると思へば耐へられましたし、最後は、ちやうどジグソーパズルがピタリと埋まるやにしてのハッピーエンド。『逃げるアヒル』、『ゼロの罠』 と讀んできたなかで本書が一番よかつたやうに思ひます。 

 

また、〈末摘花〉 を讀みつづけました。『光る源氏の物語』 の中で、丸谷才一さんが、この 〈末摘花〉 を書いた紫式部をいやにけなしてゐましたので、そのつもりで讀んできましたが、ぼくはさうかなあと思ひました。丸谷さんとの對談者、大野晋先生も曰く

 

「紫式部は末摘花を残酷に追い込んでおきながら、決してそこから末摘花自身を浮き上がらせようとはしなかった。当時の弱い者に対する容赦のない攻撃は、宮廷では常識だつたわけですから、彼女自身、自分の弱い立場で苦しんだはずだけれども、この段階では、同時に弱いものいじめを平気でする一員として生きていたんだという感を強くします」

 

丸谷さんは、これに同調しながら、紫式部は、「末摘花に対しては、小説家として責任を果していない感じです」、とさへ言つてをられるのであります。 

ところが、次のやうな場面を讀んでみると、さうとばかりは言へないのではないかとぼくは思ひました。 

 

「頭中將があの自分の新婦(末摘花)を見たらどんな批評をすることだらう、・・・自分の行動に目を離さない人であるから、そのうちこの關係に氣が附くであらうと思ふと源氏は救はれ難い氣がした。女王(末摘花)が普通の容貌の女であつたら、源氏はいつでもその人から離れて行つてもよかつたであらうが、醜い姿をはつきりと見た時から、却つて憐む心が強くなつて、良人らしく、物質的の補助などもよくしてやる樣になつた。黒貂の毛皮でない絹、綾、綿、老いた女達の着料になる物、門番の老人に與へる物までも贈つたのである。こんなことは自尊心のある女には堪へ難いことに違ひないが、常陸の宮の女王はそれを素直に喜んで受けるのに源氏は安心して、せめてさうした世話をよくしてやりたいといふ氣になり、生活費なども後には與へた」(與謝野晶子譯) 

 

丸谷さんは、「光源氏が末摘花の面倒をみて救っても、作者紫式部は救っていないんです」ともおつしやつてゐるんですけれど、ぼくはそこのところがよくわかりません。たしかに、「顔がまずいっていうのは、しようがないことで」、それを書きつぱなしだから残酷だといへばさうかもしれません。でも、光源氏が救つてあげてゐる、それは紫式部がさう思つて書いてゐるとは言へないんでせうか。どなたかに聞いてみたいところです。はい。 

と、まあ、これもまた 『源氏物語』 を讀むうへで考へさせられる場面だと思ひます。 

 

今日の寫眞・・・讀み終はつた、ポーラ・ゴズリングの三册。