九月十三日(月)戊戌(舊七月廿四) 曇りのち曇天

 

待ちに待つた沢崎探偵がやつてきました。いや、圖書館から届いたのです。原尞著 『それまでの明日』 です。申し込んだときには順番が二百番だいでしたから、いつそのこと買つてしまはうかとも思つたのですが、買ふとしたら、文庫本になつてからにしてゐるので待つことにしました。それが、やつとといふか、わりと早く順番がまはつてきたのでした。

 

原尞が今までに出した本は、私立探偵沢崎を主人公とした五册と、エッセイ集の二册のみ。すべてハヤカワ文庫で讀みました。そして再讀も果たしました。『異聞 おくのほそ道』 を半分ほど讀み進んだところですが、返却期限もあるので、一氣に讀んでしまひたいです。 

期待通りです。はじめの一〇頁を讀んでみてさう思ひました。 

 

「探偵を稼業にしてかれこれ三十年近くなるが、依頼人が友人になったことは一度もなかった。仕事が終わったあとで、私の仕事ぶりに満足しなかった依頼人はそんなにいなかったはずだ。友人にしたくなるような依頼人が一人もいなかったわけではない。だが、依頼人が友人になることはなかった。探偵とはそういうものだった」 

 

ぼくは、このくだりを讀んでゐて、學校で相談係をしてゐたときのことを思ひ出しました。最初の生徒の相談が、いいアルバイトはないでせうか、といふのはまるで笑ひ話のやうですから公開はさしつかへないでせうが、ぼくが信條としてゐたのは、相談に來た生徒とは、相談室以外の廊下や教室で會つても、知らんぷりしてゐるといふことでした。 

むしろその生徒のはうが顔をあはせたくなかつたでせう。自分が話したこと、それは秘密のことであり、いくら自分のはうからそれを話したとはいへ、それを知つてゐる人がゐるといふことは、實に恐ろしいことだと思ひます。退職するまでの五年間つづけてきましたけれど、ときには、その後どうなつただらうかと氣になる生徒が何人もゐましたね。 

人の秘密を知る仕事といふのは、よほどの覺悟と自制心がないとつづけられないと今も思ひます。

あれ、へんなことを思ひ出してしまつたものです。 

 

今日の寫眞・・・昨日のつづきで、宗吾靈堂門前と宗吾父子の墓前にてと、〈宗吾御一代記館〉看板に、知る人ぞ知る甚兵衛そば