九月十六日(日)辛亥(舊八月七日) 曇天

 

童門冬二著 『異聞 おくのほそ道』 に立ち返つて讀みはじめたところ、急に歩きたくなつてしまひました。日光まで歩いたのだから、日光を起點として 「奥の細道」 を歩いてみてもいいではないかと思つたのです。 

問題は體力ですが、躊躇してゐてもはじまりません。それで、『奥の細道』 の原文はもちろん、參考書、それに地圖を出してきたら、現實味をおびてきました。

 

もう一つの問題は行程です。『異聞 おくのほそ道』 では、面白く讀み進んでしまひましたが、實際のところ、日光から出發して矢板や大田原までが、實はたいへんな距離であり、また正確な 「奥の細道」 の道筋がはつきりしないところがあるんです。 

曾良さんの 『行日記』 を見てみませう。

 

四月二日 「天気快晴。辰ノ中尅、宿ヲ出。ウラ見ノ滝・ガンマンガ淵見巡、漸ク及午。鉢石ヲ立、奈(那)須・太田原ヘ趣。常ニハ今市ヘ戻リテ大渡リト云所ヘカゝルト云ドモ、五左衛門、案内ヲ教ヘ、日光ヨリ廿丁程下リ、左ヘノ方ヘ切レ、川ヲ越、せノ尾・川室ト云村へカゝリ、大渡リト云馬次ニ至ル。三リニ少シ遠シ。 ○今市ヨリ大渡ヘ弐リ余。 ○大渡ヨリ船入ヘ壱リ半ト云ドモ壱里程有。絹川ヲカリ橋有。大形ハ船渡し。 ○船入ヨリ玉入ヘ弐リ。未ノ上尅ヨリ雷雨甚強、漸ク玉入ヘ着。 同晩 玉入泊。宿悪故、無理ニ名主ノ家入テ宿カル」。

 

このやうに、日光で宿泊した五左衛門から敎へてもらつた道を進み、さらに「直道(近道)をゆかん」として急ぎましたが、「雨降日暮る」におよんで、矢板の手前の「玉入(玉生)」で、「無理ニ名主ノ家入テ宿」を借らざるを得なかつたのです。 

まして現在は、泊めてくれるやうな「惡い宿」はもちろん、「名主の家」もないでせうし、矢板までの四〇キロ。ぼくの足といふか體力では一日ではたうてい無理です。そこを二回か三回にわけて歩くにはどうしたらよいか、工夫のしどころです。まあ、行き倒れにならないやうに工夫することのはうがもつと大事かもしれませんが。