十月二日(火)丁卯(舊八月廿三日・下弦) 

 

今日は、マキさんとお約束の會食でした。上野の西郷さんの銅像前で待ち合はせ、食事の前には散歩といふことで、上野公園を散策。銀杏が落ちていささか臭ふ道の先に、國立科學博物館が見えてきたので、開催中の 《特別展 昆活》 を見學することにしました。 

マキさんに介添になつていただいて入館し、なぜか子どもたちでにぎはう展示場を面白く見て歩くことができました。昆蟲はすばらしいとあらためて感心するとともに、毛倉野で見て寫したさまざまの昆虫たちの姿が懐かしく心に浮かんできました。

 

おなかがすいてきたので、アメ横に行きましたが、結局は、例のアトレの中のかつくらで、とんかつをいただきました。ランチメニューでしたがとても美味しかつたです。 

マキさんは、しばらく山梨に歸り、柿の木の世話をするさうです。美味しい干柿ができるやうによろしく言つておきました。マキさんとはもう五十年の付き合ひですが、會つたころとまつたくかはつてゐないのが不思議です。

 

マキさんとは上野驛で別れ、ぼくは、御茶ノ水のソラマチで開催中の古本市に行き、さらに、水道橋驛から歩いて日本書房をめざしましたが、どういふわけか閉まつてゐました。それで、その先の西秋書房を訪ねまして、店主にはくづし字の勉強の進展具合を報告。店主は店主で、ぼくが讀めさうな、武具やらなにやらの寫本を出してきたりして、ぼくとしてもたいへん刺激を受けたのでした。それでゐて、買ひ求めたのは道路際に出された廉價本のなかから、『我津衛(わがつゑ) 中』 といふ色のあせた本文廿八丁の和本(二〇〇圓)でした。

 

しかし、これは、歸宅して調べたら、昨年九月に手に入れた、『爲學玉箒(いがくたまばうき)』 と同じ、手島堵庵の著作でした。手島堵庵は石田梅岩の弟子ですから、石門心學の本といふことになるのでせう。すれば、石田梅岩についても調べる必要があるやうですね。幸ひ、吉川弘文館の人物叢書 『石田梅岩』(註) が手元にあるので、またまた間口を廣げるやうですが、それとぼくの苦手な經濟の分野でもありますが、その根本思想といふことですから、ちよいとは學んでみたいと思ひます。手島堵庵の和本も參考に!

 

ちなみに、『我津衛 中』 の目録(目次)より・・ 

〇富貴貧賤に交ハる心得の話 

〇富貴の子ハ飢饉の心得なき話 

〇金銀の延(のび)を待かねるハあしきはなし 

〇益にたたぬとていやしむまじき話 

〇人をつかふハ苦樂をともにすべき話  等々全二十項目 

 

で、今日の會食散歩は、食べて頭も使つて、一一九〇〇歩。體調もいたつて快調でした。 

 

註・・・柴田実著 『石田梅岩』(吉川弘文館) 近世の後半、町人の哲学として生まれた“心学”は、儒教・仏教・神道・道教の説を取り入れ、庶民の日常生活の中に道徳の実践を説いて発展したが、それは日本が近代化に成功した要因の中でも重要なものの一つであろう。本書は、その開祖石田梅岩の生涯と根本思想について、最も信憑性の高い史料を駆使しながら、平易・簡潔に述べた詳伝である。

 

今日の寫眞・・・ 《特別展 昆活》 入口にて、かつくらのひれかつ定食