十月七日(日)壬申(舊八月廿八日) 晴、暑い

 

森銑三さんの 『おらんだ正月』 は、もともと「少年諸君を對象として筆を執つた」本でした。けれど、「どちらかといふと、大人の讀物となつてしまつてゐた」とご本人が言はれてゐるやうに、またそれだけに多くの讀者を得たやうですが、これを讀んでゐると、江戸時代の偉人たちを知らないでゐたことがますます恥ずかしく思へてきました。書棚に目を向けましたら、中央公論社の「日本の名著」やら、筑摩書房の「日本の思想」、さらに岩波書店の「日本思想体系」といつたシリーズの名著が目に飛び込んできて、いまさらながら申し譯ない氣持ちになりました。

 

その中には、「貝原益軒」、「新井白石」、「富永仲基・石田梅岩」、「安藤昌益」、「三浦梅園」、「杉田玄白・平賀源内・司馬江漢」、「渡辺崋山・高野長英」、「佐久間象山・横井小楠」等々。岩波体系では、「石門心學」 などといふ石門心學につらなる人物の著作が一通り出揃つてゐる集もあり、それらがみな數百圓で手に入つたことを考へたら、讀めないのではなく、讀まなかつただけだと、自身怠慢のそしりをまぬがれるすべもありません。

 

それで、これはもう、くじ引きとしか言へませんが、ふと手に取つたものから讀んでいくことにしました。それは、加藤周一さんが責任編集してゐる 「富永仲基・石田梅岩」 でした。石門心學に關心があつたからですが、加藤さんはむしろ富永仲基(とみながなかもと)に入れ込んでゐるやうで、ご自身 『富永仲基異聞―消えた版木』 といふご本を書いてゐるんですね。

 

けれど、富永仲基の思想については難解のやうでして、むしろその三十一歳で死んだ生涯のはうに興味が満載のやうです。本棚からは、富樫倫太郎著 『風狂奇行』 も見つかり、「内藤湖南」集に 「大阪の町人学者富永仲基」 といふ講演が載つてゐたので、それを手始めに讀みました。が、語り口はやさしくても、何を言つてゐるのやら、わからないことばかりで、これではお手上げだなと落膽しました(註)。 

まあ、切つかけは、貝原益軒や手島堵庵、三浦梅園らの變體假名の和書を手に入れたことからでしたから、あまり深入りすることもないのですけれど、この際ですから、表面だけでも撫でさすつてみたいと思ひます。 

 

註・・・富永仲基 正徳五年(一七一五年)~延享三年(一七四六年) 江戸中期の思想家。大坂の人。父の徳通(芳春)は懐徳堂(かいとくどう)五人衆の一人。三宅石庵、田中桐江に学ぶ。神儒仏の経典に通じ、『出定後語(しゅつじょうごご)』、『翁(おきな)の文』などを著した。宗教や倫理の形骸化を批判し、現実に生きる「誠の道」を説いた。また日本(神道)、インド(仏教)、中国(儒教)の思想的特色を文化類型としてとらえ、比較観察する視点を提唱、文化人類学的発想を先取りした独自の思想家として知られる。 

 

今日の寫眞・・・中央公論社「日本の名著」の『富永仲基・石田梅岩』 と 富樫倫太郎著 『風狂奇行』。それと今日のココ