十月十二日(金)丁丑(舊九月四日・芭蕉忌) 曇り

 

このところ横になつてばかりゐましたから、今日は散歩に出ました。といつても、いつものやうに、神保町と高圓寺の古書會館の古本市をはしごしてきただけですが、體力の衰へに負けない氣力をそなへていくためには、やはり古本の魅力にすがるしかないやうです。

 

久しぶりに、古書店街の八木書店の二階を訪ねたら、廉價本にしか手を出さなくて申し譯ないのですが、今日も中野三敏先生の 『十八世紀の江戸文芸─雅と俗の成熟─』 を見つけました。前回來たときには 『江戸狂者傳』 を、これも定價からしたら超廉價で買ふことができましたが、中野先生のご本はどうしてなのかみな高價なんです。それが手ごろなお値段で買へるのはとてもありがたいので、ここはぼくのひそかな穴場です。

 

掘出し物について言へば、最近は高圓寺の西部古書會館のはうが分がいいですね。今日も、『日課念佛勸導記』 なんて言ふ、薄つぺらな和本ですが、寛政六年(一七九四年)初版、天保二年(一八三一年)再刻の佛教書と出會ひました。變體假名も讀みやすく、内容もわかりやすい。死に處する生き方を説いてゐるやうですから、他人事ではありません。といふか、江戸時代の人々の死生觀にでも迫れたら、少しは參考になるかも知れません。 

で、今日も美味しいものをいただいて、それで歩いて七五〇〇歩でした。 

 

ところで、昨夜、さつそく渡邊崋山の 「退役願書之稿」 といふ、いはば「辭職願」の文をよみました。よりによつて、職を辭する願書をよんでしまつたのですが、上役に平身低頭して提出した「辭表」にしては、言ひたいことを言つてゐる態度に感服いたしました。 

 

「画家でありながら画を志さず、書家でありながら書に関心がないとしたら、生存の根拠がありますまい。今の諸侯はどうでしょうか。諸侯でありながら国を治めずに、家中の者や百姓に精出せと命令しても、これに従う者があるでしょうか。また奉行でありながら奉行の本分を尽くそうとせずして、百姓にたいし百姓の本分を尽くせと命令しても、なおさら承知しないでしょう」 (『日本の名著25 渡邊崋山・高野長英』 中央公論社 所収の現代語譯) 

 

今日の世の中でしたら、愚痴ですませてしまふでせうが、上司に直接こんなことを言へるなんてたいした度胸ですし、みずからの畫業と生き方に自信が、それに覺悟もあつたんでせうね。