十月十五日(月)庚辰(舊九月七日) 曇天

 

八年前、十七年住みなれた南伊豆から東京に歸つてくるとき、一緒に美術館めぐりしようねと妻と約束したのに、それが實現したのは、父を送り、母がデイサービスに行くやうのなつた今年からのことです。

 

で、今日ははじめてサントリー美術館へ行つてきました。開催中の《京都・醍醐寺─真言密教の宇宙─》展を見るためです。 

「真言密教の拠点・醍醐寺。国宝・重要文化財に指定された仏像や仏画を中心に、普段は公開されない貴重な史料・書跡を通じて、平安時代から近世にいたる醍醐寺の変遷を辿ります」といふ内容の、豐かな展示物の數々でした。でも、ぼくが興味を持つたのは、きんきらした佛像や書畫ではなく、ぼくも 『續群書類從』 で持つてゐる、『滿濟准后日記(まんさいじゅごうにっき)』 と、 『義演准后日記(ぎえんじゅごうにっき)』 の現物を目の當たりにできたことでした(註一、二)。何百年といふ時代をすり抜けて、歴史そのものに觸れたやうな氣がいたしました。

 

美術館とはいつても、出光美術館と同じく、大きなビルの中の一角に位置してゐるので、會場を出るとそこはデパートの賣り場とまがふやう。三階から地下に降りて、妻が亡き友人から薦められたといふ、平田牧場のとんかつをいただきました。とんかつの量が選べて、小食のぼくにはとてもありがたく、美味しく食べつくすことができました。 

 

ぼくが最近こころしてゐることのひとつは、妻が買ひ物に出かけるのを見送るときとか、ぼく自身が出かけるとき、さらに夜寢るときなど、もしかしたらこれが見納めかも知れないといふ氣持ちを意識することですが、一緒に出かけたあとは別行動。表參道を一人で歩きたいといふ妻を、地下鐵表參道驛で見送り、ぼくは半藏門線で神保町に出ました。

 

いつも訪ねてゐるので、どの店にはどのやうな本があるかはだいたい把握してゐるつもりですが、今日は大發見をしました。岩波文庫だつて、創刊から今日まで、すべて視野に入れてゐると思つてゐたのですが、色あせた背表紙の 『錦里文集』 を見出した時、おやと思ひました。文庫本にしては分厚くて、〈前篇〉とあるその著者が、木下順庵だつたのです。昭和二十八年の初版です。戰前の出版といふのならわかりますが、ぼくの勉強の視野から外れてゐたんでせうね、五百圓でしたが求めました(註三)。

 

それと、大きな本で持ち歸るのに困りましたが、関根慶子著 『平安文学 人と作品ところどころ』(風間書房)。なんと、定價が一三九五〇圓。それが三百圓でしたから買ひ込みました。目次には、「宮仕えに見られる二つのありかた─紫式部と孝標女─」とか、『更級日記』 關連の論文がいくつかありました。そろそろ 『更級日記』 を讀まうかなと思つてゐたところでしたので參考にするつもりです。 

 

註一・・・満済准后日記(まんさいじゅごうにっき)」 室町時代の醍醐寺の座主であった満済の日記。応永18年(1411年)正月と同20年(1413年)から同29年(1422年)まで、同30年(1423年)から永享7年(1435年)までの自筆本が現存するが、多少の欠落がある。満済は室町幕府将軍の足利義満・足利義持・足利義教の3代に仕えた護持僧で、内容は私的な日記ではあるが、幕府政治においてたびたび諮問を受けるなどの経験が多かったため、当時の政治・外交についての秘事も多く記述されている。一方、文化人としての名声も高く、その筆にかかる当時の年中行事や世相についての記述は、室町期の社会を知るうえで貴重な史料とされていて、『続群書類従補遺』(2冊)として刊行されている。 

 

註二・・・「義演准后日記(ぎえんじゅごうにっき)」 醍醐寺座主の三宝院義演の日記。1596年から1626年までの自筆原本62冊が伝わり(1614年と1615年の各一部を欠く)、醍醐寺三宝院が所蔵する。国指定重要文化財。〈慶長元年大地震記〉〈慶長十九年有馬湯治記〉などの別記もあり、紙背文書には重要なものを含む。日記の時期は豊臣秀吉の晩年から3代将軍徳川家光の治世初期に至る時代であり、公家・武家の上層部と親しく、政界に近づいた義演が、醍醐寺関係の記述にとどまらず、武将や朝廷貴族層、仏教界の動向まで書き留めており貴重である。《史料纂集》所収。 

 

註三・・・木下順庵(きのしたじゅんあん) []元和7(1621)・京都 []元禄11(1698)・江戸 江戸時代前期の朱子学者。名は貞幹 (さだまさ)、字は直夫、通称は平之丞、号に順庵、錦里などがあり、没後に門人から恭靖先生と諡 (おくりな) された。幼少時より才気に富み、僧天海が弟子にして法嗣にしようとしたという話もある。藤原惺窩の弟子松永尺五に学び、のち京都東山に塾を開いて多くの門人を育てた。加賀藩主前田綱紀の認めるところとなり禄を受け、さらに天和2 (1682) 年将軍綱吉のとき、江戸幕府の儒官となる。林鳳岡、人見竹洞らと『武徳大成記』を編修。著書には遺稿を集めた『錦里先生文集』があり、その詩文の格調は荻生徂徠によって高く評価されている。新井白石、室鳩巣らすぐれた門人が多い。 

 

今日の寫眞・・・サントリー美術館入口 と 平田牧場のとんかつ