十月廿三日(火)戊子(舊九月十五日・霜降) 曇天

 

今日は川野さんと上州路を歩いてきました。木枯らしの季節にはまだはやいやうでしたが、天氣予報に反していまにも降りさうな曇天の一日、赤城山、榛名・妙義に秩父連山をぼんやりとながめながら、ねぎ畑や山芋畑の野道を歩いてきました。

 

ぼくは北千住から、川野さんは久喜から、東武鐵道の特急りようもう號で合流し、太田驛乘り換へで木崎驛下車。次の世良田驛のはうが目的地には近かつたのですが、木崎驛からタクシーで一氣に目的地に向かひ、そこから歩いて次の目的地經由で世良田驛まで歩くことにしました。 

タクシーに乘つて正解でした。歩いたらそれだけで音を上げてゐたかも知れません。その最初の探訪地は太田市立縁切寺滿德寺資料館です(註一)。滿德寺に付属した施設で、これはとても見應へがありました。

 

そもそも川野さんに薦められるまで、鎌倉の東慶寺以外にこのやうな驅け込み寺があることさへ知りませんでした。鎌倉のはうはどうなのかは知りませんが、ここの資料館のいままで開催した企畫展やら講演會の豪華なこと! 東京の博物館や美術館ですら聞いたことがないやうな豐かで學術的な内容です。 

まづ、縁切寺としての〈「三くだり半」企画展〉だけで、すでに三十一回も開催されてゐるんです。今回はその三十二回、〈地域で異なった三くだり半〉 といふ内容でしたが、地域で異なるなんていふところまで深く掘り下げた展示内容でした。

 

ちなみに、その他の企畫展も列擧してみます。これらも興味津々です。 

「女往来物の世界ー女筆手本を中心に」、「寺子屋の世界」、「江戸の子育て」、「江戸の子育て 第2回」、「百人一首の世界」、「『親父の小言』と親心」、「江戸の道徳教育─寺子屋と徳育─」、「江戸の道徳教育Ⅱー地域社会と人づくりー」、「礼法書に見る江戸の躾方ー礼節社会の誕生を探るー」。 

どうです、明治150年なんて賛美してゐるやつらに、これを見よと言つて、たたきつけてやりたいですね! 江戸時代には富國強兵に基づく戰爭敎育などなかつたのです。敎育勅語を持ち出してくる前に、江戸の敎育を學べと言つてやりたい。

 

で、講演會のはうですが、その講師も列擧しておきませう。 

縁切寺満徳寺資料館名誉館長の髙木侃先生はじめ、網野善彦 杉浦日向子 平岩弓枝 阿部謹也 神坂次郎 樋口恵子 小和田哲男 縄田一男 小松和彦 石川英輔 磯田道史 山本博文等錚々たる方々です。 

はたまた狂言の夕べや落語・講談會まで開催してゐるといふのにはただただびつくり。

 

ぼくたちは、その豪華さや掘り下げの深さなど知るよしもなく、驅け込みから縁切りまでの「滿德寺縁切寺法」の手續きの仕方の展示を食ひ入るやうにながめるばかりでした。また、ずらりとならんだ、いはゆる「三くだり半」の文書が、くづし字としてどうにか讀める程度のものでしたので、二人して競つて讀みふけりました。が、いままでにこんなに熱心に見た展示があつただらうかと、思はず顔を見あはせて笑つてしまひました。 

もちろん、復元された滿德寺の「駆け込み門」の前にも行き、け込んできたであらう多くの女人の姿を思ひ浮かべました。

 

註一・・・縁切寺満徳寺資料館  満徳寺は、鎌倉の東慶寺と並んで世界に二つきりの縁切寺でありました。縁切寺とは、そこへ駆け込んだ妻を救済し、離婚を達成してくれた尼寺のことで、徳川家康の孫娘千姫が入寺し、離婚後再婚したことで縁切寺の特別許可が与えられました。 

男女差別が厳しかった当時にあって、不法な夫(男性)から妻(女性)を救済するという縁切りの特権が認められた、いわゆるアジール(避難所)だつたのです。 

館内には縁切寺関係の資料を中心に、歴代将軍の位牌などが展示されており、また本堂と門や庭園が復元され、春は桜、夏は桔梗が楽しめます。 

 

問題は、晝食でした。一面畑といふなかの道をたどり、もう一つの目的地である、新田荘歴史資料館に向つたときはすでに午後一時、食堂はもちろんコンビニも見當たらず、勅使門(註二)までたどりついてしまひました。もうあとは見てしまはうといふことにして、東照宮を通り抜けて、新田荘歴史資料館に入りました(註三)。 

ここも見どころがありました。中世の荘園であつた新田荘の跡に建てられた施設で、新田義貞の出身地でもあり、常設展である新田義貞に關する展示が充實してゐました。當然 『太平記』 の展示があり、ここでも原文の變體假名を讀むのにちよいと没頭、空腹のため持續はしませんでしたが、樂しみながら學ぶことができました。 

さうだ、旗本・新田岩松氏の歴代當主が描いたといふ、猫繪の展示もされてゐました。 

 

受付の方に食事處を聞くと、近くには朝日家しかないといふので、とにかく急いで向ひましたら、閉店寸前に到着し、大和芋料理の「麦とろ御膳」をいただくことができました。 

世良田驛までは一直線。無人驛といふ寂しさ。一時間に一本といふ電車にゆられて、再び太田驛乘り換へで無事歸路につくことができました。 

一日で、一一六〇〇歩でした。歸りは冷えてきたので、歸宅後の温かいお風呂が疲れをいやしてくれました。 

 

註二・・・長楽寺の勅使門(県指定重要文化財) この門は、江戸時代東照宮の正門で、勅使または幕府の上使が参拝するときにのみ使用され、それ以外は開かれることがなかったため、「あかずの門」ともいいます(俗に、赤門とも)。 

註三・・・新田荘歴史資料館 昭和60年に開館した東毛歴史資料館を平成214月太田市に移管され、世良田の東照宮や長楽寺などからなる歴史公園内に太田市立新田荘歴史資料館として新たに開館しています。長楽寺に伝わる文化財を中心として、多くの古墳や遺跡、東毛地域の歴史資料を、古代から現代までを展示しています。 

 

今日の寫眞・・・木崎驛から世良田驛のかけての地圖。縁切寺滿德寺資料館入口にて。展示中の「三くだり半」文書の例。驅け込み門にて(これは、門を背にして撮つたものです)。 

新田荘歴史資料館。大和芋料理・朝日家の「麦とろ御膳」