十月廿九日(月)甲午(舊九月廿一日) 

 

今日も 〈明石〉 を讀んで過ごしました。佳境に入つてきまして、入道の説得と手厚い準備によつて、やつと明石の入道の娘との逢瀬が實現。ここまでに何頁費やされたことでせう。ところが、その濡れ場はほんの一瞬。ええ、つてなものでした。

 

源氏は、海邊の邸から、娘のすむ山の手の邸に馬にのつて向かひます。 

「山手の家は林泉の美が濱の邸に勝つてゐた。濱の館は派手に作り、これは幽邃であることを主にしてあつた。若い女のゐる所としては極めて寂しい。こんな所にゐては人生の事が皆身に沁むことに思へるであろうと源氏は戀人に同情した。」

 

はたして、その娘ですが、原文の味はいはといへば、「ほのかなるけはひ、伊勢の御息所にいとようおぼえたり」 といふのですから、源氏の君としては胸をときめかすものが感じられたのでせう。入道から言はれつづけてきた先入觀もこれで吹き飛んだのではないかと思はれます。はい。 

 

「源氏がそこへ入つて來ようなどとは娘の豫期しなかつた事であつたから、それが突然なことでもあつて、娘は立つて近い一つの部屋へ入つてしまつた。・・・源氏は強ひて入らうとする氣にもなつてゐなかつた。しかし源氏が躊躇したのはほんの一瞬間のことで、結局は行く所まで行つてしまつた譯である。女はやや背が高くて、氣高い樣子の受け取れる人であつた。源氏自身の内に大した衝動も受けてゐないでかうなつたことも、前生の因縁であらうと思ふと、そのことで愛が湧いて來るやうに思はれた。源氏から見て近勝りのした戀と云つてよいのである。平生は苦しくばかり思はれる秋の長夜も直ぐ明けて行く氣がした。人に知らせたくないと思ふ心から、誠意のある約束をした源氏は朝にならぬうちに歸つた。」(與謝野晶子譯)

 

まあ、どうしたものでせう。姿がいいなと思つたとたん、「行く所まで行つてしまつた」。「かうなつたことも、前生の因縁であらう」なんて、いつたい何がよかつたのか、その内實、「實事」の詳しい樣子を是非とも書いてほしかつた。ねえ、紫式部さん。