十一月六日(火)壬寅(舊九月廿九日) 曇天、日中大雨

 

四日間外出しつぱなしだつたので、さすがに疲れ、今日は一日寢轉がつてゐました。 

それで、九月二十八日に古本市で求め、ぼちぼち讀んできた、中井甃庵(しゆうあん)著 随筆集 『とはずがたり(不問語)』 を今日も讀みつづけました。前にも書いたやうに、すらすら讀めても何を語りたいのかがよくわからない内容です。當時はみなが納得したやうな譬へ話なんでせうが、それが理解できないのはくやしい。 

例へば、理解しやすくて短いものをいくつかあげてみませう。句讀點だけ付け加へました。 

 

〇物ことにつけて、過こしかたをかたり出るは、大やうよき人なり。ゆくすゑをのみ、かたりいづるは、大やうはよからぬ人なりと、人のおほせられし。 

〇人のよき事したらんを、ほむる事あらば、かならずいましめのことばを添べし。あしきことしたらんを、いさむる事あらば、かならずなだむることばをくはふべし。いましむればほこらず。なだむればよきにすゝむ。 

〇やんごとなきあたりへ、まかりかしこまる人は、たゞかみのこのみを伺ひて、さいはひを求んとするなれば、わらひをさゝげ、媚を奉りて、下ざまのうれたき事は、大やういみはゞかるなり。民草は、露にうるほひ、國つ風靜になどいふ言のみ耳にいれば、誠にしからむと、きゝ過し給ふもことはりなり。 

 

まあ、甃庵さん皮肉屋ですね。享保十三年(一七二八年)に序文の書かれた随筆集ですから、吉宗の享保の改革の最中でせうに、長文ですのでここにはあげませんでしたが、政治に對する揶揄といふか皮肉たつぷりの文章がけつこう目立ちます。 

また、懐徳堂創立者の一人、道明寺屋吉左衛門が富永仲基の父であります。仲基は、懐徳堂の指導者であつた甃庵をだいぶ手こずらせたやうなのであります。