十一月十日(土)丙午(舊十月三日) 晴のち曇り

 

今日は不思議なことが重なりました。まあ、例の古本散歩ではあるんですが、求めればこそ與へられるといふことを實感した一日でした。 

土曜日は、神田と高圓寺の古書會館が同時に開催する日でありまして、いつもならはしごができるのですが、今回は神田のはうが「洋書まつり」なので敬遠し、高圓寺にしぼつて探索いたしました。

 

はじめは何を求めるでもなく、釣りのやうに、こころに引つかかる書を待つてゐるといふ感じなのですが、今日最初に食ひついてきたのは、『懐徳堂知識人の学問と生 生きることと知ること』(和泉書院) といふ本でした。懐徳堂記念会編で、「懐徳堂春秋記念講座での講演にもとづく論集」です。 

懐徳堂(かいとくどう)といふのは、簡略に言へば、「享保九年(一七二四年)、大坂町人が中井甃庵(なかいしゅうあん)を中心として開設した私塾」です。さう、一昨日讀み終へた、『とはずがたり』 を書いたその甃庵先生が活躍した儒學の私塾です。 

これは、その「懐德堂に集まった知識人たちについての講演録」ださうで、テーマだけ書き出すと、

 

「懐德堂知識人の学問と生」 

「反徂徠としての懐德堂知識人」 

「中井履軒の天文学とその背景」 

「梅岩心学と懐德堂知識人」 

「市井の君子富永仲基」

 

どうです。面白さうですねえ。石田梅岩もですし、富永仲基も。中井履軒とは中井甃庵先生の次男で、「五井蘭洲に朱子学を学び、兄中井竹山(なかいちくざん)とともに大坂の学問所懐徳堂の全盛期を支え、懐徳堂学派で最大の学問的業績を残したと言われる」といふ人物なんですね。 

ちなみに、この懐德堂については、「懐德堂知識人の学問と生」のテーマで話された、子安宣邦先生が、その冒頭で、自分もさうだつたけれども、江戸思想史研究者がほとんど關心を向けてゐないのださうです。

 

ぼくも、富永仲基についてちよいと觸れたおかげでその存在を知つたにすぎません。そこで歸宅後、本棚から、奈良本辰也編 『日本の私塾』(角川文庫) と、竜門冬二著 『私塾の研究 日本を変革した原点』(PHP文庫) を出してきてみたら、竜門さんのは二十の私塾を紹介してゐますが、懐德堂は見られませんでした。奈良本さんのはうでは、十一の私塾の最後に、「懐德堂─中井甃庵」として述べられてゐます。 

 

ところで、もう一册手應へがあつたのが、大石慎三郎著 『徳川吉宗とその時代』(中公文庫) です。開いてみたら、第一部が 「将軍吉宗と尾張宗春」 と題して、その兩者の不幸な關係をあますところなく述べてをられ、「宗春の“派手”さにたいして、吉宗は“質素”の見本のような男であった」とあるところなど、さうなのかと納得させていただきました。 

といつてもその途中ですが、それで、宗春が書いた奢侈の薦めでもあるやうな 『温知政要』 が發禁にされたのだなあと思ひました。

 

ところが、手にした文庫本があまりにも汚くて、別の本屋で探さうと思ひ、思ひ切つて町田の高原書店まで足をのばしました。柿島屋の馬刺も眼中にあつたからですが、高原書店では高くて手が出せませんでした。しかも、子安宣邦さんが出してをられる 『江戸思想史講義』 も見つけ、後ろ髪引かれるやうな思ひで店をあとにし、柿島屋の先にあるブックオフに行つてみました。すると、『江戸思想史講義』(岩波現代文庫) も 『徳川吉宗とその時代』 も、さらにくづし字勉學の師でもある中野三敏先生の 『写楽 江戸人としての実像』(中公文庫) までお安く手に入つたのであります。 

馬刺も美味しかつたけれど、讀書の旅の面白さも滿喫できて、今日は天國に近い一日でした。