十一月十三日(火)己酉(舊十月六日) 曇天

 

『源氏物語〈澪標〉』 靑表紙本で三〇頁ほど讀み進みました。このあたりのテーマは、朱雀帝が讓位し、冷泉帝の世になつて源氏はまさにその後見としての地位をかためていきます。と同時に、明石上に姫君が誕生し、そのもとへ源氏が乳母を送らうといふことになりました。 

ところが、そこが源氏なのでせうね、乳母に選んだその女の家を訪ね、「明石の入道家のことをくわしく話して聞かせた」ことまではいいですよ。そのあとです。 

 

(乳母が)若やかで美しいたちの女であつたから、源氏が戯談を云つたりするのにも面白い相手であつた。 

「私は取り返したい氣がする。遠くへなどお前をやりたくない。どう。」 

と云はれて、直接源氏の傍で使はれる身になれたなら、過去のどんな不幸も忘れることが出來るであらうと、物哀れな氣持ちに女はなつた。 

「〈かねてより隔てぬ中とならはねど別れは惜しきものにぞありける〉 

一緒に行かうかね。」 

と源氏が云ふと、女は笑つて、 

〈うちつけの別れを惜しむかごとにて思はん方に慕ひやはせぬ〉 

と冷やかしもした。(與謝野晶子譯) 

 

と、まあ女性を誘ふこのやうなテクニックを、もつと若いうちに知つてゐればよかつた! 

 

また、先日讀みかけた、日向一雅著 『源氏物語の世界』 を讀み進んだら、もつと 『源氏物語』 が身近に感じはじめました。といふのは、『枕草子』 と違つて、『源氏物語』 は架空の物語であつて、歴史との接點があるのやらないのやら、現實の歴史とどのやうに絡み合つてゐるのやら、今まで讀んだものにはほとんど觸れられてをりませんでした。それが、實はぼくの無知であつたことがわかりかけてきました。例へば・・・。 

從來、『河海抄』(註)によつて「定説化」された、「延喜準拠説」といふ説があつて、これすらもぼくははじめて知つたのですが、桐壷帝を醍醐天皇に比定するといふ説ださうです。

 

これにたいして、本書は、「延喜準拠説だけでは桐壷帝の物語の理解は十分ではない」、と述べ、「物語は桐壷帝の時代を仁明、宇多、醍醐という三代を重ねるようにして構想していたと見てよい。こうした後代から王朝の模範と見なされた天皇の時代を選んで桐壷帝の物語は構成されたと考えられる」。と言つて、いくつかの例をあげてゐます。例は省略しますが、目からうろこが何枚か落ちました。 

 

註・・・『河海抄』は、南北朝時代の公卿、四辻善成によって編まれた 『源氏物語』 の註釈書である。室町幕府第二代将軍足利義詮の下命により、貞治年間(13621367)のはじめに献上されたとされる。院政期から鎌倉時代までの註釈を集成した最初の諸註集成であると同時に、漢籍仏典や和歌物語等におよぶ先行文献を典拠として指摘している。総説にあたる「料簡」では、『源氏物語』 が、史実の醍醐、村上両天皇の時代である延喜、天暦をモデルとして描かれたとする延喜・天暦準拠説を唱え、今日の 『源氏物語』 研究にも大きな影響を与えている。