十一月廿二日(木)戊午(舊十月十五日) 

 

中津文彦著 『天明の密偵 小説・菅江眞澄』 讀了。 

中津文彦さんと言へば、ぼくにとつては、「塙保己一推理帖」シリーズですかね。もう何年も前になりますが、三册つづけて面白く讀ませていただきました。それにたいして、このたびの 『天明の密偵』 は、菅江眞澄の旅の謎にせまる内容で、とても讀みごたへがありました。

 

三十歳のころにふるさとを出てから一度も歸らずに旅をつづけ、最後は秋田に定住して果てた菅江眞澄とはどんな人物なのだらうか、前々から不思議に思つてゐたのです。 

「各地の風俗・民俗などを日記体で詳細に書き残した」、「日本民俗学の先駆者」として知られるといふのですが、それだけなのだらうかといふ謎です。それが、本書を讀んで、それは中津さんの創作の秘密なのでせうが、「密偵」だつたといふのは奇想天外のやうですが、史實的にも納得がいくはなしだと思ひます。たしかに説得力もあり、たいへん面白かつたです。 

 

つづけて、獨特な變體假名の 『伊那の中路 眞澄遊覽記』 を讀みたいと思ひましたが、註釋といふか參考になるものも同時に讀んでみたいと思つて、宮本常一さんの 『菅江眞澄 旅人たちの歴史2』 と、秋元松代といふ劇作家の、『菅江眞澄 日本の旅人9 常民の発見』 の二册を出してきました。 

 

註・・・『天明の密偵』 の内容紹介 

日本民俗学の先駆者として知られ、各地の風俗・民俗などを日記体で詳細に書き記し、200冊以上の書物を残した菅江真澄。三河・吉田宿の御師の次男に生まれ、国学者で藩の御用商人でもあった植田義方のもとで勉学に勤しんだ彼は、岡崎へ出て和歌を、名古屋では絵画と本草学を身につけた後、30歳で古里を後にして長い旅に出る。当時は、天明の大飢饉や浅間山の大噴火などの天変地異、賄賂にまみれ、幕府を意のままに動かす老中・田沼意次と松平定信ら譜代衆の対立、松前藩問題と北方ロシアの脅威など、幕藩体制が大きく揺らいだ激動の時代だった。 

そんな中、彼は何を求めて、信濃、出羽、陸奥、そして蝦夷地へと旅をしたのか――。彼を蝦夷地へと駆り立てたものは何だったのか――。 

本書は、立身出世を願うも叶わず、生涯を旅に生きざるをえなかった菅江真澄の虚実入り交じった人生をミステリーの手法で掘り起こしながら、彼の秘密に迫った傑作歴史小説である。 

 

今日も和本の整理を續けましたが、なかなかはかどりませんでした。中には、著者が誰であるかも記さず、奥書のないものがほとんどですから、著作年はもとより、刊行年もはつきりいたしません。でも、調べ出したときは謎が解けたやうで嬉しい!