十二月二日(日)戊辰(舊十月廿五日) 曇天

 

昨夕、母が散歩で倒れ、膝を打ち、手のひらからも血をだして歸つてきました。暗くなつてからは出ないやうに言つてきたのに聞かないのでした。まあ、夕食はできましたが、次第に膝が痛くなつてきたやうで、歩けなくなり、トイレには這ひずつてゐました。 

それで今朝、日曜日でしたので救急車を呼ぶしかなく、九十五歳だと傳へたらすぐに來てくれたのはいいのですが、どの病院にも斷られ、どうにか綾瀨にある病院で診てもらふことができました。 

幸ひに骨折はなく、ただ膝に多量の血液がたまつてゐて、それを出し、出血がおさまるまでは入院することになりました。すでに、大腿骨を左右とも骨折し、金属が入つてゐるといふのに、それでもなほ、何故自分は病院にゐるのか、とか、痛くないから歸るだとか、もう大變です。まあ、痴呆もだいぶ進んではゐるのです。 

 

ぼくは今日も 『伊那の中路 眞澄遊覽記』 を讀み進みました。 

あと數頁といふところで、「御柱かんわさ(神事)」についての記事には注目しました。 

「この行事は諏訪神社をはじめとして、どこの御社でも七年に一度、卯の日、酉の日に定めて行う神事で、他国では聞かない例であるという。きょうは卯日にあたって、この三ノ宮(砂田〈いさごだ〉の社)の御柱を立てるのである」 

と言つて、その様子を詳しく記してゐますが、御柱は諏訪神社だけのものではなかつたことがわかります。初耳です! 

また、豫告めいてゐますが、ある日、「姨捨山の月見にと、同じ仲間と誘いあって旅立った。この日記は 『わがこころ』 と名づけて、別に一巻にまとめてある」といふ、その 『わかこゝろ』 は次に讀む豫定でゐるところです。(以上、引用は東洋文庫より)