十二月四日(火)庚午(舊十月廿七日) 曇天

 

今日は池袋に行つてまゐりました。古本市があつたわけではありません。じつは、西武線の特急電車に乘るホームがわからなくて、といふか、いつもホームを電車の一編成分くらゐもどらないと乘れないので、もつと近くに入る改札口があるにちがひないと、それをたしかめに行つたのであります。

 

さうしたら、JRや地下鐵の改札口のある地下一階の連絡通路では、ずつと奥の改札口に入るやうになつてゐるのですが、地下鐵丸ノ内線の改札がある中央通路を東に向かふと、正面に階段があり、そこを地上階に上がつた右側に西武鐵道の改札口があつたのです。しかも改札口を入つたすぐ右手に特急電車の姿が見えて、これは近いと感心しました。

 

今までは、有樂町線の改札口のある南通路を東に向かひ、右手に曲がつてからはさらに奥の奥にある改札口を通つてホームに上がつてゐましたから、とんでもなくホームの先端に行つてしまつてゐたのでした。だからたいへんな距離をもどらないといけなかつたのですが、それが、中央通路の東端の階段上が改札口と特急電車の乘り場であることが確認できましたので、大安心です。

 

それで、明後日に迫つた第二回秩父ダムめぐりに備へて、ジュンク堂に行き、二萬五千分の一の地形圖を買ひ求めました。滝沢ダムと二瀬ダム近邊の地圖は「三峰」でした。交通は西武秩父驛からはバス。はじめに二瀬ダムに行くので、滝沢ダムまで歩けないかと思つて買つたのですが、とても難しさうです。

 

ジュンク堂には歴史や國文學の新本がたくさん並んでゐましたが、値段を見てびつくり。ぼくには古本があつてゐると思ひました。思はぬ出會ひもありますしね。 

ただ、錦仁(にしきひとし)といふ先生が書かれた 『なぜ和歌を詠むのか 菅江真澄の旅と地誌』(笠間書院) といふ分厚い本には手がのびてしまひ、開いたら菅江眞澄の和歌について書いてあるのです。ところが、丁寧に見ることはできませんでしたが、菅江眞澄が郷里で和歌を學んでゐたこと、そして烏丸光廣の本を書寫したことも、ましてや、自筆本かも知れない 『二葉紀行(吾妻路往返記行)』 についてもまつたくふれてゐないやうなのです。 

歸宅後、氣になるので、「日本の古本屋」で、錦仁先生も書いてをられる 『真澄研究 13(平213月) 新野直吉、錦仁、松山修』(菅江真澄資料センター、秋田県立博物館、平21) といふ本を探し當てたので注文してみました。

 

また、久しぶりに東急ハンズにも行きました。萬歩計の電池を交換してもらひ、また製本用のノリを探したのですが、いはゆるヤマトノリを見つけるのに苦勞しました。 

お祭り騒ぎしてゐるやうな通りを避け、歸りは無料パスを利用して、驛前から淺草雷門行の都バスと、途中の梶原で都電に乘り換へ、町屋驛から歸つてまゐりました。 

歸宅後、妻と母を見舞ひましたが、まあ元氣ではありました。東部地域病院と有病院に比べると、あまりきれいな病院ではなくて、ちよいとかはいさうに思ひました。