十二月九日(日)舊十一月三日(乙亥) 曇りのち晴

 

今日は日比谷圖書館文化館で行はれたセミナーに出席してまゐりました。この情報は川野さんから得たもので、常に五感をとがらせてゐないと逃してしまふことがあることを思ひ知らされました。 

テーマは日比谷圖書館文化館で常時行はれてゐる 「古書で紐解く近現代史セミナー」 の第32回、《番町とともに歩んだ塙保己一 ~『群書類従』を編纂した大国学者の足跡~》 といふものでした。先日「和学講談所」跡を探し回つてしまつたこともあつて、とにかく情報と刺激がほしいと思つたからでした。

 

開會は二時でしたので、晝ごろ家を出て、晝食は日比谷公園内の松本楼に入つてみました。知つてはゐましたけれど入るのははじめてでした。日曜日だからでせうか、少し待ちましたが、巨大なイチョウを目の前にしたテラス席で、「ハイカラビーフカレー」をたつぷりといただくことができました。ビーフが多いのには驚きです! 

そんなで、地下一階の大ホールには開會十分前の着き、千円の參加費をお支拂ひして席に着くことができました。内容は以下のやうでした。

 

1819(文政2)年に『群書類従』を刊行したことで知られる国学者・塙保己一(1764-1821)は、1793(寛政5)年、江戸幕府の許可と下付金を受けて江戸麹町(現在の千代田区立九段小学校付近)に「和学講談所」を設立しました。この「和学講談所」は後に表六番町(現在の千代田区三番町)に移り、1868(慶応4)年に廃止されるまで国典の教授、出版事業が行われました。本講座では、この「和学講談所」を中心に、塙保己一の生涯と国学者としての事績を紹介します。 

【講座内容】 挨拶:塙保己一物語劇化実行委員会会長・竹並 万吉 

塙保己一紹介ビデオ上映 

講演①:塙保己一の生涯(荒井 一夫) 

講演②:和学講談所と塙保己一(齊藤 幸一) 

講演③:群読劇「塙保己一物語」ができるまで(根岸 久) 

─といふことで、講演①②は塙保己一の家族や子孫のこと、保己一の信念が「あはれ世のため後のため」であつたこと、また、「和学講談所」の建物の構造だとか、版木が現在でも生きて用ゐられてゐるのは 『群書類從』 以外ないといふ話もでました。現在國學院の外人教師の求めで版木で全卷を摺つてゐるといふのには感心しました。

 

さらに、群讀劇といふ塙保己一についての劇まで上演されてゐて、そのダイジェストを上映されたのにはちよいと居眠りしてしまひました。 

等々、とにかくすごい人物であり、まさに偉業をなしとげた方だつたんだなあといふことを再確認させていただいた感じでした。『群書類從』 をこれからもつともつと活用しなければと痛感しつつ歸宅いたしました。 

 

ところで、今朝、出かける前に、モモタとココをひざに、和本の「元版群書類従特別重要典籍集」の 『時秋物語』 を讀みました。一册のなかに 『今物語』 と一緒にはいつてゐるのですが、こちらは六頁。短いのですらりと讀み終へてしまひました。 

内容は、「後三年の役に、新羅三郎義光は兄義家の軍を助けんが為に、官を辞して出羽へ下向した。その際、豊原時秋がこれを追って行き、足柄山で 〈大食調入調〉 といふ笙曲の秘曲を授けられて都に帰った」といふ傳授ものの説話です。 

 

また今日は、中野三敏先生の 『和本のすすめ─江戸を読み解くために』(岩波新書) を手にして出かけました。二〇一四年正月三日に入手した際に讀んだのは 〈はじめに─いま、なぜ和本か。そして変体仮名のすすめ〉 と 〈おわりに─和本リテラシーの回復を願って〉 だけで、讀み通すことはできなかつたのですが、せめてもう一度と思つて讀み直したら、まあそのときの胸の高ぶりがぶり返してきました。その前年からくづし字を學びはじめてゐたところですから、じつに興奮して讀んだのでした。その心の高ぶりに導かれて、ぼく自身のくづし字リテラシーはだいぶ回復されてきたかなと自負するところですが、この際ですから讀み通してしまひませう。

 中野先生は、「その名もおぞましい変体仮名や草書体漢字によって記されている・・・これらの文字を、少なくとも江戸の一般人と同程度のスピードを以て読む能力を備えた読書人というものが、今や絶滅危惧種化している」とおつしやつてゐます。いいでせう、自ら絶滅危惧種になりたいと思ひます。