十二月十日(月)舊十一月三日(乙亥) 曇り

 

今日は、中野三敏先生の 『和本のすすめ─江戸を読み解くために』(岩波新書) の本文をはじめから讀みだしました。そこで、あらためていろいろなことを知りました。 

まづ、和本といつても、それを讀んだ人間同様に身分があり、大きく寫本と板本(版本)に分類されること。むろん寫本のはうが身分は上で、大量生産が可能な板本はしよせん商品として量産された複製品なので、卑俗なものだみなされてきました。江戸時代を通じて、寫本は主、板本は從といふ認識は變はりませんでした。

 

また、板本には、整版、活字版、拓版の三種があり、とくに、奈良時代から主に寺院で行はれてゐた整版は(最古のものは八世紀の「百万塔陀羅尼」)、それでも、ほそぼそと、ほとんどが貴族と僧侶の専有物として非營利的におこなはれてきました。これまでのものを「古版本」とか「古刊本」といふさうです。 

ご存じのやうに、整版とは、「裏返しの文字を板木に彫りつけて刷る印刷」のことです。そのいい例が、『群書類從』 の版木での印刷ですね。

 

それにたいして、活字版は、一文字一文字の活字を組み合はせて刷る印刷です。文禄・慶長期(一五九二~一六一五)に入つてきた、朝鮮式銅活字印刷術と宣教師によつて持ち込まれたグーテンベルグ式の西洋活字印刷術による印刷ですが、不思議なことに、半世紀にわたつて出版界を獨占したかのやうに流行した活字版ですが、寛政以降ぴたりとやんで再び整版印刷に逆戻りしてしまふのであります。 

理由は簡單ですが省きます。ただ、この半世紀間に印刷されたものを「古活字版」と言ひ、ぼくも、『イソップ物語』 と 『平家物語』 を持つてゐます。 

 

また、今日は、一年前に古本市で求めた和本で版本の 『今昔物語』 の分册を讀みました。調べたら、たぶん享保十八年(一七七三年)刊行の和本で、本文はたつた十五丁、三つの話の入つた繪入りの説話集です。 

内容は、「倭部 二十七 佛法部」 (角川文庫では、「巻第十七 本朝付仏法」) の中の、「比叡山の僧、虚空藏の助けによりて智を得たる語」 と 「僧光空、普賢の助けによりて命を存したる語」 と 「佛眼寺の仁照阿闍梨の房に天狗のつきたる女來たれる語」 です。 

角川文庫で六年前に讀んではゐたのですが、變體假名で讀むとまた格別でした。どうしてなのか、まづ讀み流すことができないので、内容を深く廣く理解できることでせうか。見慣れた文字だとわかつた氣になつて進むのみですが、變體假名だと、一種の探検とでも言ひませうか、立ち止まつては前後をたしかめつつ前進するしかありません。景色を堪能して走るローカル列車の旅に例へることができるかも知れません。まさしく、これぞ 《讀書の旅》 であります。 

 

今日の寫眞・・・二〇一〇年十月十六日に訪ねた塙保己一史料館の、『群書類從』 の版木倉庫にて。一七二四四枚が収められてゐます。それと、この版木で印刷された、『群書類從』 全六六六册。