十二月十三日(木)舊十一月七日(己卯) 晴のち曇り、滝沢ダムでは霰

 

今日は、十一月十九日の第一回につづいて、旅友の川野さんとともに、秩父のダムをめぐつてまゐりました。前回は合角ダムと浦山ダムでしたが、今日は、三峯神社への途中に鎭座まします、荒川源流域に属する二瀨(ふたせ)ダムと滝沢ダムを訪ねました。まあ、自家用車で行つてしまへばことさら困難なところでもないのですけれど、電車とバスを乘り繼いでとなると、けつこう工夫が必要で、老化防止といふか若さを保つには効果があるかも知れません。

 

今回は、前回より一時間おそくして、西武秩父驛前發一〇時五分の三峯神社行き急行バスで現地に向かひました。岩盤を削りつつ流れる荒川に沿つた國道を上流部に向けてひたすら走りつづけ、秩父湖には一〇時五五分着。 

じつは、ダムで堰き止められてできた湖にはそれぞれ名前がつけられてゐます。合角ダムは「西秩父桃湖」、浦山ダムは「秩父さくら湖」、そして二瀨ダムが「秩父湖」で、ついでに滝沢ダムは「奥秩父もみじ湖」と稱します。

 

しかし、二瀨ダムはなんだか工事中で、水量も少なくてさびしい感じでした。このダムの上は生活道路となつてゐて、バスはもちろん、工事車も自家用車も通行可能で、三峯神社まで通じてをります。 

その神社に背を向けるやうにして、ぼくたちは西武秩父驛行のバスに乘つて大滝温泉遊湯館まで引き返し、そこからさらに奥部に向ふ中津川行に乘り換へて滝沢ダムに行きました。ところが、このあたりは「フリー乗降区間」で、どこからでも乗り降りできるのです。だから、滝沢ダムにはバス停がありません。運轉手に聲をかけて停車してもらひました。

 

いやいや、「奥秩父もみじ湖」は滿々と水をたたへてをりまして、これぞダムと叫びたくなりました。しかも、ダムのなかほどの建物からはエレベータで下に降りられるのでした。下といふのは、せき止められた下流側のダムの根本で、降りて表に出て振り返つたダムの高さと空を半分も覆い隠してしまふその偉容(?)・異樣(?)には、とびあがつてしまひました。

 

ぼくは、少年時代に岩波映畫を見て育ちましたから、道路やトンネルやダムの工事は大好きです。でも、現場に來てみると複雑な氣持ちがします。こんなに巨大なものを人間が作つてしまつていいものなのか、そして、そこに住んでゐる人々の暮らしを取り去つたり苦しめるに値する意味のあるものなのか、渡良瀨川はじめ、水俣、阿賀野川、四日市等々の公害を思ふにつけ、はらわたが煮えくり返る思ひがしますが、今日は寒くてただダムを仰ぎ見るしかありませんでした。

 

さうだ、これで四つのダムを制覇したので、ダムカード四枚で特別なカードがもらへるはづ。最後の滝沢ダムの管理事務所で聞いところ、女性の係の方が出てきて、それは二瀨ダムでもらへるのですと言ふのです。先ほど訪ねたのに、そこでは何も言はれず、結局がつかりして歸りのバスに乘りこみました。このバスも、ぼくたち二人きりでした。しかも、先ほど乘つて來た同じバスでした。

 

歸りは三峰口驛で下車し、三時三五分發の秩父鐵道で歸ることにしました。幸ひ、驛前のそば屋がやつてゐたので、急いでいただいて飛び乘りました。どこかでそばを食べようと期待してゐたのに、どこもが休業だつたからです。それでも樂しい珍道中でした。 

ただ、秩父鐵道には急行とかがないやうで、終點の羽生驛まで、ちんたらりとまるまる二時間かかつて到着しました。また、驛前で餃子とラーメンをいただき、それぞれ別れて歸路につきました。歸宅したら、一一一〇〇歩でした。 

 

今日の寫眞・・・二瀨ダムとその水の少ない湖。ループ橋を渡るバスからみた滝沢ダムと水を湛えた湖水。それとダムの中央部から見た下流部とその下から見たダムの偉容