十二月十九日(水)舊十一月十三日(乙酉) 

 

菅江眞澄著 『わかこゝろ 眞澄遊覽記』 (眞澄遊覽記刊行會) 讀了。 

考へてみると、眞澄遊覽記一册目の 『伊那の中路』 は、土浦の古本市で偶然に手にし、變體假名といふただそれだけで求めたのでした。それが六月十二日(火)で、十一月廿二日に、これもたまたま購入した中津文彦著 『天明の密偵 小説・菅江眞澄』 を讀んだことによつて讀むべき必然性を得、はじめて接する變體假名に苦戰を強ひられながらも讀み進み通すことができたのでありました。『わかこゝろ』 はその二册めで、獨特の變體假名にもだいぶ慣れてきました。

 

もちろん、菅江眞澄といふ人物は、宮本常一さんの著作によつて敎へられ、紀行作家しかも民俗學者だといふことで、關心もだいぶ高かつたのでありました。 

それがです、このたび讀んだ 『眞澄遊覽記』 の原文によつて、そのイメージの變更を大幅に迫られた感じなのであります。眞澄の紹介文に、「江戸後期の国学者・旅行家。本名、白井秀雄。三河の人。信濃・越後・奥羽・松前を巡歴して著した紀行文は、『真澄遊覧記』 と総称され、民俗学・考古学などの好資料」とあるやうに、訪ねたところの人々の暮らしぶりを克明に記してはゐても、もともと民俗學に關心があつての紀行家ではなかつたのでありますね。むしろ國文學者であり歌人だつたのであります。 

人びとの克明な記述は、『わかこゝろ』 を讀んでゐると、まるで和歌の詞書(ことばがき)ではないかとさへ思ひます。行き交ふ場所や景色、生き生きとした人々の話やその樣子を描寫しつつ口遊んでゐるだけでなく、『大和物語』 の引用についてはすでに述べましたが、和泉式部のこと、『拾遺和歌集』 の「物名」について、さらに 『萬葉集』 や宗祇の句を引用したりと、まるで歌人でせう?

 

しかし、それらの大部分が、東洋文庫の 『菅江眞澄遊覧記1』 では省かれてしまつてゐるのであります。原文を知らない人は、菅江眞澄は和歌をやる人だとは氣がつかないままに讀み終へてしまふことでせう。ぼくは、これは罪惡だと思ひます。後世に間違つた考へを與へてしまふことは歴史への冒瀆とさへ思ひます。 

錦仁先生が、「内田武志・宮本常一編訳 『菅江眞澄遊覧記』(東洋文庫) は、眞澄の旅日記・日誌・随筆の類から、和歌に関する記事および眞澄の詠歌を抜き去って現代語訳してしまった。これがいかに眞澄の本質を理解しないものであるか、批判・検討されるべきである。」と書いてをられるのは當然と言はなければなりません。 

 

昨日は淺草から、地下鐵銀座線に乘り、神田驛で中央線に乘り換へて水道橋驛下車。日本書房と西秋書店を訪ねました。腹の蟲がおさまらなかつたからです。 

日本書房の店頭に積んである廉価本のなかから見つけたのは、『繪本ふちはかま 上下』 といふ和本でした。これが五〇〇圓。天丼より安かつたです。歸宅後調べたら、「絳山樵夫作 柳川重信画、文政六年(一八二三)刊」といふ和本で、日本の古本屋ではとても高價でした。

 それと、西秋書店さんでは、『仮名書き論語(論語集注)』 (大友信一・木村晟・片山晴賢編、翰林書房、平成8年) といふ漢文の論語を假名書きした本。「本書の成立は江戸中期までに遡り得る」なんて、心細いことが書かれてゐます。それにしても讀みにくい變體假名でして、岩波文庫と照らし合はせながら讀むしかないでせう。