十二月廿四日(月)舊十一月十八日(庚寅) 晴、北風

 

今日も 《東京散歩》 に出かけてまゐりました。じつは今日のコースも、すでに何度も歩いたところなので、面白味には缺けるであらうことはわかつてゐたのですが、いやいやたいへんな發見をいたしました。

 

まづは、〈コース番號27〉のコース名と内容─「問屋街めぐり アメ横・合羽橋道具街 上野駅~淺草駅 上野~淺草間にある専門店街を歩く。上野昭和通りのバイク街や御徒町アメ横、料理道具の揃う合羽橋道具街、花川戸問屋街は靴・履物が並ぶ。いろいろな買い物をたのしめる。〔所要〕4時間」。

 

今回は、はじめからガイドブックのコースに忠實に從ふつもりはありませんでした。北風が冷たかつたからだけではなく、すでに歩きなれてゐたところだつたからです。それにしても、寒くて、日差しがあるので誘はれて出てきたのはいいのですけれど、ますます早く切り上げようといふ氣になつてしまひました。

 

スタートは、ガイドブックではJR上野驛前ですが、ぼくは京成上野驛を地上に出たところからにしました。一二時一〇分。中央通りが昭和通りに合流するその道筋にそつて入谷方面に向かひました。頭上には高速が走つてゐる鬱陶しい道路なので、ガイドブックが描くコースのひとつ手前の信號を對向車線側に渡つてもどりました。その先はバイク街となつてゐて、バイク好きにはこたえられないのでせうが、ぼくは昭和通りを上野驛前までもどり、さらに東上野三丁目、二丁目の裏通りに入りました。かういふところは普段歩かないところなので興味深いものがあるのですが、キムチとか韓國物産とかの看板が目立ち、その方面の問屋街なのでせう。そこも素通りし、右折して昭和通りを越え、ガードをくぐるとアメ横です。

 

まあすごい人、ごつた返すとはこのことかと思ふ人出でして、コースを端折つて御徒町驛から春日通りに出、そこからは逆に過疎地に來たのかと思へるほどの靜かな通りを進み、いつたん淺草通りに出て、銀座線稻荷町驛の交差點を南にくだり、一つ目の通りを、こんどは東に向かつて一直線。淺草通りに並行してゐる通りですが、ここもはじめて。すると、左衛門橋通りの交差點の向こうのお寺の前に、見なれた説明版が見えたので、コースから外れて近づくと、なんとその誓敎寺といふお寺に葛飾北齋の墓があるといふのです。 

もちろん入りました。墓地への道順も掲示されてゐて、すぐにわかりました。小さな薄暗い小屋の中に墓石が建ち、それには 「畫狂老人卍墓」 と刻まれてゐて、いかにも北齋らしく思はれました。でも、北齋さんがこんなところに眠つてゐたとは、ねえ。 

この邊りは考へたら、佛具屋さんが多いことからわかるやうに、寺院が多いところなんです。たぶん江戸の昔、大火事によつて移転を繰り返し、一定の地域に集められたのでせう。

 

やつとコースの半分といつたところで、日がさらに傾き、身を切るやうな北風がひときは激しくなつてきました。疲れてもきましたので、松が谷一丁目に入つたところの公園のベンチで、休みがてら友人たちにメールをして、北齋の墓を發見したことをお知らせしました。 

あとは、合羽橋道具街ですが、その前に、久しぶりなので、池波正太郎記念文庫を訪ねました。いやあ暖かいこと。中は圖書館でもありますから、しばらく體を温めました。 

合羽橋通りから淺草までは、ふだん歩かない道を選んで、それでも賑やかな飲食店街を人をかき分けかき分けして、どうにか東武鐵道淺草驛にたどり着くことができました。 

午後三時四五分到着。正味一〇三七〇歩でした(一日通しては、一二一一〇歩)。 

 

今日の寫眞・・・北齋の墓二枚。池波正太郎記念文庫入口(これは秘密裏に撮りました!)。それと、合羽橋通りあたりの路地から見たスカイツリー。