十二月廿五日(火)舊十一月十九日(辛卯) 

 

今日も 『保元記 上』 を讀み進みました。岩波文庫と雄山閣文庫の 『保元物語』 を参考にして讀んでゐますが、この二つの文庫の本文は冒頭の部分を除くとさうたいした違ひがないことがわかつてきましたので、少し訂正します。 

それにしても兩文庫と複製本の 『保元記』 の違ひは大きい。ぢやあ文庫を見るのをやめにしたらよささうなものですが、人名や語句が假名で書かれてゐた場合には、漢字で書かれてゐる文庫を参考にしたはうが正確に讀むことができます。

 

ただし、『源氏物語』 にも言へることですけれど、假名で書かれた文章が、活字化された場合に、誤つた漢字が使はれてしまつたら、意味を限定することになつて、後々讀む者には、これはこれで困つたことになります。どのやうな漢字を使ふか、使つた人の解釈が入つてしまふからです。が、それを逆手にとつたのが紀貫之でして、『古今和歌集』 などはその集積と言つてもいいのではないでせうか。 

 

じつは、昨夜、『古今和歌集』 の前半がやつと讀み終りました。變體假名の勉強のために、在九州國文資料影印叢書刊行會から出てゐる、三條西實隆が書寫した 『古今和歌集』(註) を、二〇一五年四月から讀みはじめて、まだやつと半分です。ベッドのわきに吊つてあるので、寢起きする際には必ず目につき、讀めるまでにらめつこの毎日でした。それが、假名文字としてはすらすら讀めるやうになりましたので、ぼくの「變體假名リテラシー」を知るひとつの目安になつてゐます。

 

その「卷第十 物名」は、言葉遊びみたいなもので、假名に二重の意味といふか讀み取りをさせてゐるところがミソです。假名だからこそできる裏ワザと言つたらいいでせうか。 

それが、眞澄遊覽記の 『わかこゝろ』 でも使はれてゐたことについては先日書いたところです。菅江眞澄も 『古今和歌集』 をよく讀んでゐたのだと思ひます。 

例へば、『古今和歌集』 の次の歌(四四八番)などは、内容も興味深いものがありますが、「からはき(唐萩)」といふ言葉を潜ませて作れとでも言はれたのでせう。

 

   a うつせみのからはきことにととむれとたまのゆくへをみぬそかなし

  b 空蝉のからは木ごとにとどむれど魂の行方を見ぬぞ悲しき

 

もちろん、「物名」だけではありません。小松英雄先生によれば、『古今和歌集』 そのものが、二重にも三重にも意味を重層させた言葉遊びだといふことになりませう。それは假名で書かれてゐればこそ可能なことば遊びなのであります。

 

今日の寫眞・・・先日、「カツネコ」の譲渡會があり、これで預かつてゐた楓と紅葉ともお別れだなあ、と思つてゐたら、もどつてきてしまひました。二匹一緒だと貰ひ手がみつからなかつたからです。どうしませう。 そのときの宣傳ビラです。