五月十一日(金)癸卯(舊三月廿六日) 

 

やつと晴れて暖かくなりました。この四日間、讀書三昧と言へば人聞きはいいですが、からだを動かさなかつたので血のめぐりも滯つてしまったやうで、體調はよくありません。それで、散歩をかねて古本漁りに出かけてまゐりました。神保町の東京古書會館と早稻田大學靑空古本祭です。

 

古書會館は、愛書會の擔當で、和本も多く、期待はあつたのですが感觸なし。それで、氣を取り直して早稻田大學へ急ぎ、といつてもちやうどお晝時で、大學近くの尾張屋さんでかつ丼をいただいてから向かひました。 

早稻田大學靑空古本祭は、七日から開催してゐましたが、靑空が見えたのは今日がはじめてのやうで、本屋さんたちもほつとした樣子で、それでまた、興味が引かれる本があちこち目につきました。山本淳子先生編集の『「源氏物語」が読みたくなる本』、それと、連歌關連本の 奥田勲著『連歌師 その行動と文学』 と 『風雅和歌集』(註) の三册でした。しかも、これらすべてで一三五〇圓。 

中でも、『風雅和歌集』(日本古典文學影印叢刊) は、掘出し物と言つてもいいかも知れません。南北朝時代の勉強で取り上げた花園院の監修で、甥の光嚴院の撰集です。それにしても、あの動亂の時代、よくもまあ、ぬけぬけとといふか、堂々と勅撰和歌集などをつくつたものです。だから、赤松圓心は一抜けた、でありましたし、楠木正成は自暴自棄のやうに自刃してはてました。さもありなんです。はい。

 

さう、八木書店にも寄つたのでした。廉價本コーナーで、日本古典全書の 『枕册子』 を見つけ、第一七七段を開いてみたら、「宮に初めて参りたるころ」が、これでは、百七十九段になつてゐました。新潮日本古典集成では、第百七十六段、小學館の日本古典文學全集では、一八二になつてゐましたから、すべて異なつてゐるんです! 開いた口がふさがりません。どれを基準にといふか、もとにして話をすすめていつたらよいのか、おいおいですよね。學者先生方の責任にしてしまひたいと思ひます。 

と、まあ、それはそれとして、國文學専門の古書店ですから、見回せば、いい本があるはあるはで惱みました。連歌の本もありました。『光嚴院御集全釈』 を書いた岩佐美代子先生の、『あめつちの心―伏見院御歌評釈』 だつたか、『京極派歌人の研究』 或いは、『京極派和歌の研究』 だつたかもあり、ほしかつたですけれど、今すぐに必要でもないし、それに高價ですからね、斷腸の思ひで斷念いたしました。あとで知つたことですけれど、岩佐先生は、『風雅和歌集全注釈』 も出してゐるんですね。みなみな、ぼくにとつては高嶺の花としか言へません。 

 

今日利用した乘り物…我家→綾瀨驛─(千代田線)→新御茶ノ水驛─古本漁り→神保町驛─(新宿線)→九段下驛─(東西線)→早稻田驛─古本漁り→高田馬場2─(バス)→上野廣小路─(徒歩)→京成上野驛→堀切菖蒲園→歸着。で、七五〇〇歩でした。 

 

註・・風雅和歌集(ふうがわかしゅう) 南北朝時代、17番目の勅撰和歌集。20巻。花園院監修、光厳院撰。1349年成立。歌数約2200。建武中興のついえたあと、京都に復権した持明院統が企画したもので、持明院統とつながりの強い京極派の歌人を中心としている。代表歌人は、永福門院、伏見院、為兼、花園院、藤原定家、後伏見院等で、歌風は京極為兼撰の《玉葉和歌集》をうけ、全般的にさらに繊細になっている。