五月卅一日(木)癸亥(舊四月十七日) 曇天、一時雨

 

譲渡まで預かつてゐるノラの子猫(昨日の寫眞の二匹)がかはいいので、何度も抱きにいきました。書庫の奥の薄暗い場所なのですが、そこだと落ち着いて安心できるからといふのですが、ケージから出して抱いてあげると、うれしくてうれしくてならないやうです。激しく動き回るでもなく、頭をあげてぼくのはうを見つめたりして、安心しきつてゐるのがよく感じられます。このまま、モモタとココと一緒に育てたらどうだらうかと、思ひんでゐるところです。 

 

『枕草子』、 『枕草子のたくらみ』 による、「第四章 貴公子伊周」 で取り上げられてゐる九つの章段を讀み終へました。 

定子中宮の兄、伊周(これちか)の登場する章段でした。それらには、父母の關白道隆と高階貴子、また定子には母かたの伯父にあたる、高階明順(あきのぶ)といふ、道長とも親交があり、中關白家没落後も、「渦中に陥ることのない超然たる立場を維持し、老壮的な風格をさえ感じさせる人物」も登場。それに、まだ無聊を託つてゐた、道長も端役のやうにして登場します。

 

忘れてならないのは、淸少納言と伊周との關係です。淸少納言は、宮仕に出たての新米のころから、貴公子然とした伊周に好意以上の氣持ちをいだき、ときには助け船をだしてくれたり、また勵ましてくれたり、彼が大罪を犯して大宰府に流され、赦されて再び出仕してからも、尊敬と好意は變はりありませんでした。「淸少納言にとって伊周は、まさに永遠の貴公子だった」のです。このところは、歴史書を見てゐるだけではうかがひ知れぬところでありまして、ぼくもだいぶ偏見を正されたやうに思ひます。

 

また、印象に殘つたのは、能因本一〇八「淑景舎、春宮にまゐりたまふ」です。中宮定子の妹の原子が、春宮(のちの三條天皇)のもとに入内したばかりの宮中でのことであります。春宮からのお手紙が淑景舎の原子のもとにとどいたと思つてください。その場にゐあはせた父、母、定子さんまでもが、早くご返事を書かなくてはとせかすのに、原子さん、 

「御おもてハすこしあかみなから、少うちほをゑみたまへり」 

頬をぽつと赤らめながらほほえんでゐる女性を想像しただけで、どうですか、ぼくなんか人生がいとおしく感じられますね。それで、恥じらう原子さんの樣子を見てゐた淸少納言は、「いとめてたし」と感想を述べてをります。 

ぼくは、かういふ家族團欒の場における、初々しい情景は、きつと 『源氏物語』 には見られないのではないか、と推察してしまふのですが、のちのち確認してみたいと思ひます。 

つづいて、「第五章 季節に寄せる思い」 であげられてゐる章段を讀みはじめました。

 

 

*五月一日~卅一日までの讀書記録

 

五月一日 北方謙三著 『悪党の裔(下)』 (中公文庫) 

五月一日 『研究資料日本古典文学 第7巻 連歌・俳諧・狂歌』 (そのうちの解説と「菟玖波集」、「新撰菟玖波集」、「竹馬狂吟集」、「犬筑波集」の各項目 明治書院) 

五月一日 『竹馬狂吟集 靑山本』 (そのうちの序文 和泉書院) 

五月一日 鈴木棠三校注 『犬つくば集』 (そのうちの解説 角川文庫) 

五月三日 『竹齋 上』 (『竹斎物語集』(所収、近世文藝資料)  

五月五日 北方謙三著 『道誉なり(上)』 (中公文庫) 

五月六日 北方謙三著 『道誉なり(下)』 (中公文庫) 

五月七日 北方謙三著 『楠木正成(上)』 (中公文庫) 

五月九日 北方謙三著 『楠木正成(下)』 (中公文庫) 

五月十五日 山田風太郎著 『婆沙羅』 (講談社文庫)再讀 

五月廿七日 『鳥羽絵本集(一) 「軽筆鳥羽車」・「鳥羽絵三国志」・「鳥羽絵扇の的」』 (太平文庫)