七月八日(月)乙未(舊五月十九日) 晴たり曇つたり

 

昨夜おそく、『ビッグ・ボスは俺が殺る』 を讀み終へ、少し寢不足氣味の午前一一時二〇分、淸水のマリちやんから連絡がありました。お母さんがただいま亡くなつたといふ訃報でした。

 

覺悟はしてゐたことでしたが、とにかく、お父さんのそばに行つてあげなければと思ひたち、急遽一人で淸水に向ひました。 

何年ぶりの淸水でせう。はじめて淸水驛を降り立つたのが一九七五年の三月でした。敎師として着任するためでしたが、なんとも寂しい街だなあといふ第一印象でしたし、それは六年後に淸水を去るまでも變りませんでした。 

それが今日はどうしたことでせう。驛前はどこから湧いてきたのだらうかと思ふくらゐの人の波でした。よく見ると“七夕まつり”といふことで、それで屋臺が出てゐたり、ゆかたを着た子どもたちが多いのが納得できました。ですから迎へに來てくれたマリちやんのご主人を探すのに一苦でした。 

マリちやんの家にあがり、すでに歸宅してゐたお母さんの遺體にお目にかかり、お父さんにも言葉にならない哀悼の氣持ちを傳へました。でも、お父さんはいつものお父さんでした。 

葬儀のための打合はせが終るまで待ち、前夜式と葬儀の日時がわかつたところで、マリちやんに送られ、静岡驛から歸路につきました。 

 

今日は、行き歸りの電車の中で、一休さんの法語、『目なし草 一休水鏡』 を讀みました。毎晩少しづつ讀んではゐるのですがなかなか進みません。くづし字が難しいのではなく、内容が難解だからです。 

このごろ、讀解の難しさには何種類、といふか何層にもわたつてあるのだなあといふことを敎へられます。そのなかでも法語の難しさは、「禅の悟りの境地を語るもの」ですから、はいさうか、といふわけにはいきません。 

「御伽草子」や『竹齋』のやうに、讀みながら話の筋を追つていけるものがあると思へば、『枕草子』 や 『源氏物語』 のやうに、語句を確かめつつ内容を味はいながら、まるで石橋をたたくやうに讀んでいかなければならない讀書もあります。が、法語や宗敎書のやうに、またそれに輪をかけた理解力といふか、悟り心を求められる讀書もあります。 

それらにいちいち應じて回轉しなければならない頭腦もご苦勞樣だと思ひます。長生きはしたいものですが、はたして・・。さう、お母さんは八十二歳でした。 

 

今日の寫眞・・歸宅後、パソコンで、淸水時代の寫眞を開いてみました。まだデジカメができてゐませんから、そのころのは、すべて寫眞を複寫したものです。マリちやん家族と出會つたころの寫眞です。