七月十七日(火)庚戌(舊六月五日) 晴、蒸し暑い

 

今日は焼けのやんぱち、鎌倉行を逃した悔しさを讀書に向け、シバレンの 『忍者からす』 で歴史を味はひました。 

解説に、「本書は、戦国期に暗躍した熊野権現の幻の兵力、変幻自在の忍びの一団という構想にもとづき、室町時代前期(=南北朝時代)の元中三年(一三八六)秋から江戸時代後期の嘉永三年(一八五〇)十二月まで、実に四百六十年余にもわたる物語が展開されていく。時代を超えて、熊野神鴉(みからす)党の忍者 『鴉』 が次々と登場し、歴史上の意外な人物と交錯する面白さがあ」る、といふ内容です。 

その「歴史上の意外な人物」とは、一休禅師であり、山中鹿之助であり、塚原卜伝、丸目蔵人、由比正雪、幡随院長兵衛であり、そして、蜀山人と国定忠治でありまして、それぞれ、想像をかきたてられて面白かつたです。 

 

夕方、弓道の師、中辻先生のなきがらにお會ひするために、お花茶屋の四ツ木齋場へ向かひました。途中、齋藤さんを自宅まで迎へに行き、斎場に着いたのは、開始時刻の一〇分前でした。 

道場をあとにしてから二年になりますが、式服姿ではどなただつたかお名前を失念した多くの先輩方にお會ひできまして、これは先生のプレゼントかなと思ふほどでした。 

先生に指導をうけた年月はわづかでしたが、樂しいことばかりが思ひかへされます。年に二回は、先生を圍んで 會食の時ももてましたし、さう、先生は工作がお好きで、ぼくが撮つた寫眞で栞や寫眞ホルダーの表紙を飾つたり、團扇や菓子箱まで作つてくださいました。 

最後にお會ひしたのは、昨年の暮、立石の中華料理屋での會食でした。先生を中心に、紅一点の川崎さんと、齋藤さんと宮司の坂本さんとぼくといふいつものメンバーで、さういへば少し元氣がなかつたかなあといふ感じでした。ぼくの人生で忘れ得ない人の一人となりました。 

 

今日はまた、ぼく自身の 「病歴」 を作成しました。現在にいたる、ぼくの心臟病に關はる歴史です。發病から大動脈弁瓣置換手術、不整脈によるアブレーション手術、そしてペースメーカー植ゑ込み手術と現在の調子を綴りました。新しい病院ではじめて診察をうける際に參考にしてもらふためです。 

實は、我が家から歩いて一〇分ほどのところに、“イムス葛飾ハートセンター”といふ「循環器・心臟疾患専門病院」があることを知り、最近は、セカンド・オピニオンといふことが言はれてゐることですし、診てもらふことにしたからです。 

 

今日は、《東山會》の樂しい鎌倉散策でしたが、夕方、川野さんから次のやうなご報告をいただきました。 

「体調はいかがでしょうか。鎌倉は木々が多いのと海辺のせいか、埼玉よりはやや凌ぎやすかったです。それでも炎暑には往生しました。七名の皆さん、約一三〇〇〇歩を歩き、円覚寺(写真)等予定通り永田さんの細やかな気遣いのもと楽しく巡りました。蕎麦屋で締めて先程お開きでした。次回は渡辺さんの企画で西伊豆の廃校教室、十一月の予定です。詳細は幹事さんから連絡があると思います。ご参加を期待しております」 

旅の友はいいなあとあらためて思ひました。ありがたうございます、みなさん。