七月廿一日(土)甲寅(舊六月九日) 晴、猛暑

 

今日は、『一休禅師御一代記』 を遅々と讀みつづける傍ら、平野宗淨著 「一休和尚年譜の研究」 といふ論考を讀みました(『一休・蓮如 日本名僧論集 第十巻』(吉川弘文館 所収)。研究ではありますが、中身は、『東海一休和尚年譜』 の原文と現代語譯なのであります。

 

これは、『續群書類從』(第九輯下傳部)に収められてゐますが、一休に關する第一級の傳記資料でありまして、水上勉さんも、『一休』 の冒頭で、「『一休伝記』といわれるものは数多くある。その最たるものは、弟子墨齋こと没倫紹等の作といわれる 『東海一休和尚年譜』 である。一休没後間もなく書かれたものの由」 と、このやうに、基本的資料であることが言はれてゐるものですが、なにせ日本漢文ですから、讀みにくいのとともに誤讀しやすくて、それでいくつもの傳記が生まれたと言つてもいいやうなのであります。

 

平野宗淨さんによると、「その読後感は 『狂雲集』 の時のような親しみを殆ど感じられず、むしろ嫌悪感すら感じさせた。その文章が一休一辺倒でその師一休に対してべたべたした感じは、多少同情もするが、正しい漢文を作れず、又中国の俗語か文語かもわからないくせに、やたらに出典のむつかしい熟語を使い、美辞麗句を並べたてることには嫌悪感から始まって終には腹が立ってしまふ。」 

このやうに、たいへんなけなしやうなんですが、だからこそ正確でわかりやすい傳記の基礎固めをしてくださつたのだと思ひます。それ故に貴重な研究成果であり、また一休を學ぶものにはまたとないプレゼントとなつたのであります。

 

それを讀みました。しかし、さうかさうかと思ふだけで、今のぼくにはこれだけでは一休さんの全體像はとらへきれませんでした。しかしまた、さまざまな一休ばなしの底流にある事實の積み重ねですから、常に立ち返つては確認すべき書であると思ひました。 

 

また今日は、唐木順三さんの 「しん女語りぐさ」(『應仁四話』 筑摩書房 所収) を讀みました。「しん女」とは、晩年の一休により添つた森侍者(しんじしや)のこと。その森女が自らの生ひ立ちを語るひとり語りといふかモノローグであります。 

その内容は、應仁の亂當時の社会状況がくはしく語られ、一休に關はる人物も大勢出てきますし、一休との關はりも、類書に見られるやうないやらしさはなくて、いい感じで讀み通すことができました。そして、「禪師さまの晩年の十餘年、いちばん近いところでお仕へ申すことのできましたのは、身にあまる仕合せでございました」 と、くくられてゐます。 

 

註・・森侍者(しんじしや)  森女は一休和尚の晩年彼の側に寄り添った女性である。 森侍者はまた森盲女(しんもうじょ)とも呼ばれた、目の見えぬ者だった。その森女の面影を伝える絵姿が今に伝わっている(今日の寫眞參照)。 

朱色の小袖を着た彼女は、白い打ち掛けを身体の周囲に巻きつけるようにして座っている。傍らには鼓とツエ。両眼はひっそりと閉ざされているが豊かなホオがその人柄の優しさを語りかける。だが彼女の生涯を告げるものはほとんど残されていない。わずかにこの絵と、一休禅師がその詩集 『狂雲集』 中の十いくつかの詩で 「一代風流之美人」 と、玉のようにいとしんだ森女のことを語っているばかりである。 

 

さらに、今日は、黒川博行著 『てとろどときしん』 (角川文庫) を讀了(再讀)。