七月廿三日(月)丙辰(舊六月十一日・大暑) 晴、猛暑

 

まさに大暑。連日の暑さにあたまがぼけてきました。でも、夕食の一杯のビールが生氣をわづかながらもよみがへらせてくれてゐます。 

それで今日も 『源氏物語』〈夕顔〉 を、昨日につづき、靑表紙本」で讀みすすみました。一日一〇頁のペースですすめば、二週間で讀み終はる計算になりますが・・・。

 

〈夕顔〉では、〈帚木〉〈空蝉〉にひきつづいて、光源氏は十七歳。戀に一途なのは仕方ないでせうが、それがみな年上の女性たちなのでありますね。藤壺しかり、空蝉しかり、そして夕顔もそのやうなのであります。 

冒頭に、「六條わたりの御しのひあるきのころ」 とある、「六條わたり」とは、これはあとでわかるやうなのですが、例の「六條御息所」なのであります。與謝野晶子譯では、「源氏が六條に戀人を持つてゐた頃」、と譯されてゐます。 

けれど、ぼくは、ここを讀んだとき、六條あたりへ出向いて女漁りでもしてゐたのかなと理解したんですけれど、それが、「戀人(六条御息所)」のところに通つてゐたといふのですから驚きです。このお方も源氏より年上の二十四歳。

 

さう、〈葵〉の卷で、葵上と車爭ひを起こし、恥辱的な仕打ちを受けたために生靈となつて妊娠中の葵の上を惱ませた、あの六條御息所です。それがさらりと登場してゐるといふことは、やはり、〈夕顔〉の卷が、〈帚木〉〈空蝉〉とともに、すでに仕上がつてゐた 「紫上系」(十七帖) に、のちに挿入されたことを物語つてゐると理解してよろしいのでせうね。

 

まあ、この「六條わたり」のことは、物語の出だしを飾つてゐるだけであつて、すぐに、本題に入つていきます。光源氏が、病床にある 「いたくわつらひてあま(尼)になりにける」 乳母を見舞ふために、五條にある家をたづねる場面です。 

門を入るのに手間取るうちに、隣家の垣根に咲く花に目がとまり、その名を尋ねたことをきつかけに、その家の女性が夕顔の花とともに扇に歌を書いてよこしてきました。從者惟光が、また例のくせが出たなと思ふかたはら、さつそく興味を持つた源氏が返歌をするといふところまで。 

 

で、ちよいと餘裕ができたので、柴田錬三郎の〈眠狂四郎シリーズ〉の未讀の後半、『眠狂四郎孤剣五十三次』 を讀みはじめました。なんと七四〇頁といふ大部の文庫本です。 

眠狂四郎といへば、ぼくは市川雷藏ですね。そのイメージでぐいぐい讀んでいけます。