八月二日(木)丙寅(舊六月廿一日) 晴、猛暑

 

今日も猛暑。横になつて、〈夕顔〉 と「眠狂四郎」 を交互に讀みふけりました。 

「眠狂四郎」 も讀みやうによつては勉強になります。今回は、狂四郎が伊豆半島の最南端、石廊崎に立つた場面からはじまります。どうやら、大阪夏の陣後に遺された百萬兩もの「太閤遺産」をめぐつての爭ひにまきこまれた活躍のやうであります。 

〈夕顔〉 は、「靑表紙本」のおよそ半分まで讀み進みました。平均して毎日四、五頁は讀んできたことになります。一日一〇頁には屆きませんが、筋を追つて讀める程度には繼續してゐるのでいいとしませう。 

 

源氏が夕顔を、「いざ、いと心安き所にて、のどかに聞こえむ(お話しませう)」 などと誘ひ、「人目を引かぬ間にと思つて源氏は出かけるのを急いだ。女のからだを源氏が輕輕と抱いて車に乘せ、右近が同乘したのであつた。五條に近い帝室の後院である某院へ着いた」(與謝野晶子譯。以下同)。「註」によれば、「某院」とは、源融の「河原の院」とよばれた邸宅で、すでに荒廃してゐた模樣です。

 

やつと、夕顔を連れ出しましたが、たどりついたのは「氣味惡い家」でした。 

「靜かな靜かな夕方の空を眺めてゐて、奥の方は暗くて氣味が惡いと夕顔が思ふ風なので、縁の簾を上げて夕映えの雲を一緒に見て、女(夕顔)も源氏とただ二人で暮しえた一日に、 まだ全く落ちつかぬ戀の境地とはいへ、女も・・・過去に知らない滿足が得られたらしく、少しづつ打解けた樣子が可憐であつた。じつと源氏の傍へ寄つて、この場所が恐くてならぬ風であるのがいかにも若若しい」

 

さて、「實事」があつた後か前か、まあ、あつた後でせうが、「十時過ぎに少し寢入つた源氏は、枕の所に美しい女が坐つてゐるのを見た」 

と、まあ、いよいよクライマックスに突入といふところまで。 

 

さうだ、生まれて間もないノラネコがまたやつてきました。昨日一匹、今日また一匹。先日やつとすべてが捌けたのにと思つてゐた矢先です。依賴があつて出かけ、三匹の子ネコを捕へたのですが、二匹はすぐに貰ひ手がついて引き取られたのですが、一匹が殘されて、それを預かつたのであります。が、また今日になつて一匹を捕獲。まあ、ノラネコの一時預かりのやうなことをやつてゐるわけですが、なにしろ、子ネコは生ものでありますから、はやめに飼ひ主をみつけてやりたいのです。 

かりに、妻がネコ好きだつたら、きつと手放せなくなり、ずんずんと増えていつたことでせう。一週間も何週間も世話をすると、それはそれはなついてきますけれど、妻は貰ひ手が決まればさつさと手放してゐます。ネコの幸せだけを考へてゐるからでせう。 

ノラネコがノラネコでなくなり、「地域ネコ」となつて、近隣の方々が一緒に世話をして可愛がる、そのためにはこれ以上ノラネコがふえないやうにしなければならないと、日々奮闘してをる我が妻なのであります。