八月十一日(土)乙亥(舊七月朔日・朔) 曇り
昨日は、母の九十五歳の誕生日。今日、弟と妹家族がきて一緒にお祝ひしました。女四代、我が家は女系かなと思ひました。
今日は、昨日につづいて、謠本の 『半蔀』 を讀みました。『夕顔』 を陰とすれば、陽のやうな内容です。
「紫野雲林院の僧が立花供養をしていると、一人の女が現れて白い花を供えたので、素性をたずねると、五条の辺りの者とだけ答えて消え失せてしまひます。
不思議に思った僧が五条に来てみると、荒れ果てた一軒の家に夕顔の花が咲いているので、源氏物語の昔を偲んでいると、半蔀(はじとみ)を押し上げて女が現れ、この家での源氏の君と夕顔上との契り話などを語り、舞を舞うが、夜の明け方に、僧の夢は覚める」、といふ物語です。
ぼくが面白いと思つたのは、僧が五條あたりに赴いたときのことです。原文には、
「ありし敎へに從つて五條邊に來て見れば、げにも昔のいまし所(座所)、さながら宿りも夕顔乃、瓢箪屢々空し、草顔淵が巷に滋し」
(さきほど敎へられたやうに、五條あたりに來てみれば、本當に昔おいでになつた所がそのままで、家には夕顔も昔のとおり 『瓢箪しばしば空し、草顔淵が巷に滋し』 の詩のやうな有樣だ)
とあり、夕顔が瓢箪の花であることが暗示されてゐるのです。でも、ここを讀んですぐに夕顔が瓢箪の花だと氣がついたかどうかはわかりませんが。
今日の寫眞・・・我が家は女系家族?