八月十二日(日)丙子(舊七月二日) 曇天、朝のうち雨

 

『源氏物語〈夕顔〉』 を讀み進んでゐますが、最後の場面で光源氏の素顔が暴露され、ほのかにロマンチック心でゐた讀者をして仰天させてくれます。 

それは、光源氏が、右近相手に亡き夕顔を偲んでゐたまではいいのですが、それまでにも時々顔を出してゐた小君が、姉の空蝉からの手紙をとりつぎ、それを讀んだ源氏の心の變はりやうがまたすさまじい。

 

「また言の葉にかかる命よ」(言葉をいただいて再び命が湧いてきます) と、手紙をいただいた返事に書くくらゐまではいいですよ。

 

ここで、夕顔と間違へてではありますが、一夜をあかした軒端荻のことを思ひ出したのがまたまた浮氣心旺盛な源氏ならではでありませうか。

 

「かの片つ方(軒端荻)は、人少將をなむ通はす、と聞きたまふ。『あやしや。いかに思ふらむ』 と、少將の心のうちもいとほしく、また、かの人の氣色もゆかしければ、小君して、『死に返り思ふ心は、知りたまへりや』 と言ひ遣はす」 

(あのもう一方の女(軒端荻)は、藏人少將を通はせてゐる、と聞いた。『おもしろい。どう思つてゐるのだらう』 と少將を氣の毒に思ひ、またあの女の心の内も知りたいと思ひ、小君と遣はして、『死ぬほど思つてゐる私の氣持ちをご存じですか』 と傳へさせた)

 

こうなるともう病氣ですねえ。浮氣心には勝てない光源氏ですが、さすがに作者も口を添へざるを得ませんでした(かういふところの文章を「草子地」と言ふやうです)。 

軒端の荻の婿となつた少將が、以前關係があつたのがわたしだと分かれば、許してくれるだろうと、いかのも自分勝手に源氏は思ふのですが、作者はここでピシヤリと、

 

「御心おごりぞ、あいなかりける」(源氏の心のおごりが、どうしやうもない) と言ひ、また、 

「なほこりずまに、またもあだ名立ちぬべき御心のすさびなめり」(またも懲りずに、浮名をたてる源氏の好き心だこと)

 

と、まあ、だから面白いのですが、このやうな源氏の素顔を、幾分か單調な 「紫上系」 の間に挿入した作者、それが紫式部かどうかはわかりませんが、大した構想力をお持ちの方だと思ひます。