八月十九日(日)癸未(舊七月九日) 

 

今日の氣分は一休さん。そこで、紀野一義著 『名僧列伝()』 の中の 「一休」 と、水上 勉著 『一休・正三・白隠』 のうちの 「一休のこと」 と 「再び一休のこと」 を讀みました。 

さうしたら、だいぶ書き方といふかアプローチの仕方が違ひますね。紀野先生のはうは、それこそ先生が生徒に語るやうな、惡く言へば敎へてあげるのだといふ教科書風。一方、水上さんのはうは、惡く言へばついていくのが大變。水上さんの問題意識といふか、知ろうとしてゐる方向にこちらも向きを變へなければならないからです。けれども、何かがわかつてくる手應へは抜群に水上勉さんのはうに軍配です。

 

ただ、紀野先生のはうは、教科書風なだけに、あれもこれも、例へば、一休と蓮如が親しかつたこと、また村田珠光とも深い關係にあつたこと、さらに、謠曲の 「山姥」 と 「江口」 は一休の作であることを敎へていただきました(註一)。 

それで、ついでですから、和田萬吉編 『曲物語』 によつて、「山姥」 と 「江口」 を讀んでみました。この本は、謠曲の定本が「曲譜を主としたる演奏用の教科書」であるのを、讀む謠曲にした名著と言はれてゐます(註二)。 

 

註一・・・現在では、本作の作者が世阿弥であることは資料上から明らかとなっていますが、かつては、このような難解な作品を書いたのはきっと僧侶に違いないと考えられていた時期もあり、本作は室町時代の有名な禅僧・一休宗純の作だと考えられていました。一休の死後にその事績をまとめた 『一休和尚年譜』 では、本作(山姥)や 「江口」 は一休の作であるとされ、以前はこうした理解がなされていたのでした。それほど、本作では深遠な禅の理法が説かれ、輪廻を逃れ得ぬ鬼女の身でありながらこの世の真理をきわめた存在として、本作のシテは描かれていたといえましょう。 

 

註二・・・和田萬吉編 『曲物語』(白竜社) 能のストーリーと味わいを伝える最高の書! またとない観能の手引き、謡の友! 優れた国文学者であり、比類ない愛能家でもあった和田万吉の渾身の名著(明治44年・冨山房刊)に校訂を加え、装いも新たに全国の謡友のお手許にお届けする。カラー口絵6点、挿絵多数。最高の謡曲文学珠玉の一五五番。