九月(長月)一日(土)丙申(舊七月廿二日) 曇天、夜一時雨

 

『源氏物語〈末摘花〉』 も、いよいよクライマックス、じれにじれきつてゐた光源氏の君が、深窓の令嬢、末摘花君とご對面と相成りました。といつても、すでになんどもおかよひあそばされて、「實事」を重ねての末だと言つてもいいのでありませう。朝もやの薄暗がりのなかでのご拝顔のほどは如何?

 

まづは、本文をごらんください。ひどいですよ、なにしろ。深窓の令嬢にたいしてこんなふうに書けるなんて、作者は、紫式部さんだと思ひますが、ちよいと殘酷ではないでせうか。丸谷才一さんが、「どんなに醜女や老女が出てこようと、それを読んでわれわれがどこかでほっとするためには、自分もそういう醜女の一人、老女の一人、弱い存在の一人であるという思いが作者にないといけないんだと思うんです。この卷を書いた紫式部の筆の端々にそういう筆づかいはないんです。ここには救いがない」、とおつしやることが身に染みます。 

ちよつと長い引用ですが、與謝野晶子譯でおおくりします。 

 

まだ空は仄暗いのであるが、積つた雪の光で常よりも源氏の顔は若若しく美しく見えた。老いた女房達は目の樂しみを與へられて幸福であつた。 

「さあ早くお出なさいまし、そんなにしていらつしやるのはいけません。素直になさるのが いいのでございますよ。」 

などと注意をすると、この極端に内氣な人にも、人の云ふことは何で背けない所があつて、姿を繕ひながら膝行(ゐざ)つて出た。源氏は其方は見ないやうにして雪を眺める風はしながらも横目は使はないのでもない。どうだらう、この人から美しい所を發見することが出來たら嬉しからうと源氏の思ふのは無理な望みである。坐つた背中の線の長く伸びてゐることが第一に目へ映つた。はつとした。その次に並みはずれなものは鼻だつた。注意がそれに引かれる。普賢菩薩の乘つた象といふ獣が思はれるのである。高く長くて、先のほうが下に垂れた形のそこだけが赤かつた。それが一番ひどい容貌の缺だと見える。顔色は雪以上に白くて靑味があつった。額が腫れたやうに高いのであるが、それでゐて下方の長い顔に見えるといふのは、全體がよくよく長い顔であることが思はれる。痩せぎすなことは可哀相なくらゐで、肩の邊りなどは痛からうと思はれる程骨が着物を持ち上げてゐた。何故すつかり見てしまつたのであらうと後悔をしながらも源氏は、餘りに普通でない顔に氣を取られてゐた。・・・ 

何とも物が云へない。相手と同じやうに無言の人に白身までがなつた氣もしたが、この人が初めから物を云はなかつたわけも明らかにしようとして何かと尋ねかけた。袖で深く口を被ふてゐるのもたまらなく野暮な形である。自然肱が張られて練つて歩く儀式官の袖が思はれた。さすがに笑顔になつた女の顔は品も何もない醜さを現はしてゐた。源氏は長く見てゐることが可哀相になつて、思つたよりも早く歸つて行かうとした。 

 

まあ、ずいぶんでせう! それにしても、どんな人なのか、その姿形をまつたく見ようともせずに逢瀨を重ね、實事をくりかえしてきたとは、なんとも腑に落ちませんです。はい。 

さうだ、谷崎潤一郎が、『陰翳禮讃』 のなかで、「戀愛及び色情」といふのを書いてゐたと思ひます。ちよいと調べてみます。 

 

今日から二十數日間、ラホーレ修善寺で見た絶景なる夕日の寫眞を、順をおつて毎日「ホーム」に掲載しようと思ひます。數年に一度の夕日だと言ひます。