十月(神無月)一日(月)丙寅(舊八月廿二日) 快晴

 

昨夜、といつても深夜二時頃ですが、外は激しい臺風による強風が吹き荒れてゐて、こんなの東京に歸つてきてはじめてだなあと思つてゐたら、あつと言ふまに停電になりました。 

そのときぼくは、ベッドの上で、通販で求めた入院患者用のと同じ形のベッド・テーブルの上で、パソコンで書き物をしてゐました。ノートパソコンのはうはすぐに起動し、思ひ立つたらすぐ作業ができるので、最近はもつぱら入院生活をしてゐるやうな氣分で、ベッドで寢たり作業したりしてゐます。

 

で、昨夜も、心に浮かんだ言葉を逃さないうちに書とめやうと、起き上がつて作業してゐたら、枕元のライトが消え、おかしいなと思ひながらも、パソコンは充電式ですから、停電だからといつて即座に切れないんですね。それでもしばらくしてから、なんだかおかしいと思つてライトをつけやうとして、そのときにやつと氣がついたしだいでした。 

停電は、朝の七時過ぎになつてやつと直つたやうですが、原因は裏の通りの電線が強風で切れたからだつたさうです。だから、我が家の周邊だけの停電だつたのですが、それにしても葛飾區は停電に強いときいたあの噂はうそだつたのでせうか。 

 

やはり低氣壓のせいでせうか、氣分をかへて、昨年よんだ、森銑三さんの 『思ひ出すことども』 を、初版本でよみ返してみました。中公文庫のはうは、「当用漢字で現代仮名づかい」 でしたが、初版本は、假名遣だけは著者ご希望の舊假名です。 

「私は舊人物なのですから、舊漢字、舊假名遣でなくては、氣に入らないのですが」、と、『著作集』 を出すときに中央公論社の責任者に念を押してゐるのですよね。たいへんご立派なかたです。 

ご立派ついでに言へば、森さんは仕事の上でも、研究の上でも、自分の考へをきちんと通す筋の通つた生き方を貫いてこられたかたなのです。本書は、さういふ意味で、史料編纂所といふ、舊弊な役所のなかの人間關係のどうしやうもなさを暴露してゐて、小氣味いいところがあります。役所にはびこる 「忖度」 がいかなるものかがよくわかります! 

また、獨學についての多大なる示唆をいただきました。これは勉強に取り組む人には必讀書だと思ひます。