十月五日(金)庚午(舊八月廿六日) 小雨、臺風二十五號接近

 

變體假名で讀む日本文學、あちこち時代を超えて縱横無盡と言ひたいところですけれど、平安の昔から時代にそつて讀み進んでゐることは忘れてをりませんので、『素龍淸書本 おくのほそ道』 の旅が終つた今、ここいらでまた 『源氏物語』 に歸らうかと思ひます。

 

「紫上系」(十七帖)を主軸として、後に挿入されたとされる「玉蔓系」(十六帖)をその挿入にあはせて讀み、今まで第十帖めの〈賢木〉まですみました。そこで、あらためて、「紫上系」の〈花散里〉から、〈須磨〉、〈明石〉、〈澪標〉へと讀み進む豫定をたてて、讀みはじめましたら、なんてことはない、〈花散里〉を半日で讀んでしまひました。まあ、たつた一二頁でありましたけどね。くづし字がいやにやさしく、といふかたどたどしくはありますが、普通の文字をよむやうな感じで、よめるにはよめました。

 

葵上や桐壷院の死、藤壺の出家など、源氏二十五歳にしてはだいぶご苦勞されてゐるのですが、思ふにまかせないことのついでに、朧月夜との密會を、こともあらうに彼女の父親たる右大臣に見とがめられ、失脚の口實をあたへてしまつたのでありました。 

にもかかはらず、ふてぶてしいといふか、平然としてゐるさまは、常人にはおよびもつかない度胸があるのかも知れません。それでも、傷心を癒すかのごとく、ふらりと遊びに出たのが、花散里のもとでした。といふのが、この卷の背景でありますが、たいした筋もなく靜かにフェードアウトしていきました。 

ですから、ぼくも〈須磨〉に行かざるを得なくなりました。こちらのはうは一〇三頁ありますから、二、三日といふわけにはいきませんね。 

 

そのほかに、『おらんだ正月』 もあるし、人物叢書の 『石田梅岩』 も。さらに、飯嶋和一さんの未讀本が四册ありますから、これも近々取りかからなくてはならないし、おちおち倒れてはゐられません。

 

さう、今日は、ネットで注文した和書もとどきました。手島堵庵の 『知心辨疑』 です(註)。江戸時代の人物や思想については、森銑三さんの 『おらんだ正月』 をはじめとする著書が多數あり、こちらのはうも少しづつよんでいきたいと思ふのであります。 

 

註・・・『知心辨疑』 手島堵庵作、中井典信編・跋。安永二年(一七七三年)五月発行、天明八年(一七八八年)十一月再刻。 心学。手島堵庵が門人の問いに答えた様子を弟子の中井典信が聞き書きし、自身の手控えとしていたが、同志の要望が強いためこれを上梓したもの。本心を知るべき道理を述べる。