十月六日(土)辛未(舊八月廿七日) 曇りのち晴、暑い

 

今日の古本散歩は、高圓寺だけでした。神保町も五反田も古本市はお休みで、それで、高圓寺の古書會館はいつもより人でごつた返してゐました。 

なんてつたつてごみ溜め漁りのやうなものですから、しつかりと目を見開いて探さないと、本のはうから笑顔でこたへてはくれません。今日は特に値段的には安いものばかりで、文庫本をおもにねらい定めて見ていきましたら、ありましたね。すべて岩波文庫で、『血液循環の原理』 なんてはじめて知りましたし、表紙に書きこみのある 『鶉衣』(註一)。そして、『雲萍雑誌』 です(註二)。これは、森銑三さんの校訂で、しかも著者について疑義をとなへてゐる小論が卷末に「附載」されてゐます。でも、内容は面白さうです。みな一〇〇圓から一五〇圓といふのが魅力的ですね。 

讀書の旅も、かうしてみるとだいぶ込み入つてきましたが、それはぼく自身が知らなかつただけであつて、歴史は深くて廣いことを今さらながら痛感してゐるところであります。

 

註一・・・『鶉衣(うづらごろも)』 「鶉衣」は、名古屋の俳人横井也有((やゆう))によって記された俳文集である。俳諧の心を散文に生かした俳文は、芭蕉のころに意識されだし、也有の「鶉衣」によって完成の域に達したと言われている。自然の情趣・人情・世の中の時事を、平易な言葉を用いながら、和漢の詩歌や故事・ことわざを自在に使用して軽妙洒脱に表現している。縁語・掛詞・対句の利用も巧みで、流麗巧緻な文体を作り上げている。「鶉衣」とはつぎはぎの衣のことをいい、也有は誠にお粗末な文章の寄せ集めという謙遜の気持ちで書名を付けている。也有の没後大田南畝が前編三巻を天明七年(一七八七)に、後編三巻を翌年に、江戸蔦屋(つたや)から出版。さらに石井垂穂により、続編三巻・拾遺三巻が文政六年(一八二三)に名古屋永楽屋から続刊された。 

 

註二・・・『雲萍雑誌(うんぴようざつし)』 江戸時代後期の随筆。柳沢淇園 (きえん) 著。四巻。天保 十四 (一八四二) 年刊。著者が日常耳にした話を記録したもので,一六一話から成る。多くは志士仁人の言行をあげ,俗談平話のうちに勧善懲悪を説いたもの。 

各巻巻頭に〈柳里恭稿〉とあるところから,郡山藩の重臣にして儒者,画人である柳沢淇園の著とされていたが,山崎美成、あるいは序文にみえる桃花園の偽作とする説もある。 

 

今日の寫眞・・・今日求めた岩波文庫三種。左から、昭和十三年に發行された、装丁も用紙もしつかりしてゐる、ぼくが角川文庫の舊版の次に好きな文庫本です。それに、表紙には、「歩兵中尉 佐藤潔兄 戰傷御見舞 平井文男」 とペンで書かれてゐます。いつ贈られたか、贈つた方も贈られた方もどういふ方かわかりませんが、まだ戰爭中であるなら、その後どうなされたのか、想像すればするほど、この一册の文庫本には歴史が詰まつてゐると思はざるを得ません。しかも、『鶉衣』 ですよ。よく戰場には 『萬葉集』 とか、『古今和歌集』 を携へていくといふ話を聞きますが、やはり日本の古典なんですね。 

さう言へば、ぼくの手もとにある 『徒然草』 と 『良寛詩集』、父がノモンハンに出陣したときに忍ばせてゐたのかも知れないと思ふと、感無量です。

 

眞ん中の 『血液循環の原理』 は、昭和十一年初版ですが、戰後の二十三年の發行ですから、紙質は最低です。でも珍しいといふか貴重な内容です。 

右は、『雲萍雑誌』。最近の發行ですから新本とかはりません。ちなみに、氣に入つたところを引用しておきませう。 

 

「夫婦の中のしたしみも禮あるうちは珍らかにして、その情至つて深く厚し。禮を失ふ時は、その情自然と薄くして、離別もまた遠きにあらず」

 

「愚者は不用の財を貪るに勞し、賢者は用の財をつくるに樂しむ。不用の財は限りなし。用の財は限りあり。限りある身を以て限りなき財を求めば、死に至るまで貪欲盡くることなし。されば身を勞して財を聚(あつ)むる時は其身終れり。用の財は用の足ることを樂しむがゆゑに壽を養ふ。財に不用といふことあるべからずとおもふものあれど、日用の外を散ずる財はみな不用の財なり」

 

いやあ、いいこと書いてゐますね。できれば、變體假名の原文で讀んでみたいです。