十月十一日(木)丙子(舊九月三日) 曇天

 

森銑三さんの 『おらんだ正月─日本の科學者たち─』(角川文庫) を讀みました。面白かつた以上に多くの偉人を敎へられ、これからの勉強の視野に入れておかなければならないと思ひました。

 

『おらんだ正月』 といふ表題は、「江戸時代の蘭学者たちが、寛政六年閏十一月十一日が太陽暦の一七九四年一月一日にあたるというので、その正月を(おらんだ正月として)祝った」から、それにちなんでつけたといふことです。 

内容は、「江戸時代初期から末期にかけて活躍した医学本草家・探検家・発明家・思想家など、伊能忠敬・平賀源内・高野長英ら五十余名の伝記や逸話を平易に説」いてゐます。その數五十二名の科學者ですが、「一口に江戸時代の科學者といひましても、その頭數(あたまかず)からいへば醫者が取分けて多い」と、著者自身がおつしやつてゐるやうに、外科、内科、眼科、それに鍼術を極めた杉山檢校など多彩です。 

杉山檢校などは、將軍の病氣を癒したといふことで、本所一ツ目に土地を與ヘられ、お禮に財天を祀り、のちに、檢校のおかげをこうむつた人々がそこに杉山神社を建てるといふことまでしてゐます。さう言へば讀んでゐて、この神社には、『歴史紀行九 赤穂浪士引揚げの道』 の途中で訪ねたことを思ひ出しました。

 

貝原益軒や三浦梅園、杉田玄白、古川古松軒、平賀源内、帆足萬里、(渡邊崋山)、高野長英などは、みな岩波文庫や東洋文庫や思想全集で讀めるものばかります。 

とりわけ、渡邊崋山を讀みたいですね。『傳記文學 初雁』(講談社学術文庫) の解説のなかで、解説者が、「いつか(森銑三)先生に、史上の人物で会いたい人といったらどなたですか、と問うたら、崋山です、と一言いわれたのだった」、といふ文章に出會つたからです。

 

殘念なのは、高野長英や渡邊崋山や佐久間象山のやうな、日本國に必要な人材が、幕府の無理解や誤解によつて若くして非業の死を遂げなければならなかつたことです。 

權力者はもちろん、その手先といふか、その思ひを忖度して、良いも悪いも自ら考へもせずに行動するやからがゐるかぎり、國がよくなることはないのだらうと悲觀的にもなります。せめて、歴史に、生き方や暮らし方を學んで、世の中の方向を見据えた行動をしていきたいと思ふものであります。それが先人の努力とご苦勞に應へる道でせう。以上、讀後の感想です。