十月十三日(土)戊寅(舊九月廿四日) 曇天

 

寒くなりました。ひざにモモタ、胸にはココを抱いて、午前中は、昨日求めた 『日課念佛勸導記』 に目を通しました。六丁半といふ册子にしかすぎませんが、それでもたしかに江戸時代の本ですのに、すらすらと、一字一句内容までよく讀み取れました。またさうでなければ、一般庶民を對象にした宗敎の宣傳パンフの意味がないとも言へますが、ぼくにはとても面白かつたです。

 

まづ、はじめに、「老少不定のならひ、生者必滅のことはりなれハ、けふをかぎりのいのちともしれざれば、もしただ今にも命終せば、いかなる宿業むくひきたり、地獄八寒八熱のそこにしづみ、又は餓鬼畜生の形をうけんやと、此ことを思計するに、身の毛もよだつばかりなりけれバ、貴賤老若を論ぜず、かたときもはやく、當來投宿(ゆくさきとまり)のところをきハめ、たましいの落着所を定めおくこと肝要の急事なり」と語つてゐます。 

これはまあ、どんな宗敎においても、信仰をうながすための定石のやうなものでせう。それで特に興味深かつたのは、「身をも命をもおしまず自力をはげみて苦修難行すること」によつて救はれるとされる聖道門」に對する、「淨土門」の説明です。

「ひとへに他力本願をたのミ、極樂往生を願ふに過たる道ハあるまじきなり」、との前置きにつづく言葉です。ちよいと長いですが寫しておきます。

 

「たとへ、遠國の人、京にのぼりて、まづ始終とも勝手よき所に宿をとり、そのうへこゝろにまかせ諸用を辧ずるに、かねて宿をさだめておくゆゑ、何時(なんどき)日暮になるとても、すこしも心づかひなく、宿より迎ひきたり、同道にて歸り、めづらしき馳走にあひ、大いに悦びたのしむなり。若し旅になれざる人は、はじめ宿をもとらずして、方角もしらざる所へゆきまよひ、俄に日暮になりて後悔すれども、近所に宿屋もなく終夜(よもすがら)大いに難義するがごとし」

 

これは、ただ地獄が恐ろしいところだから信じるやうにといふ脅しのやうな敎へとは違つて、信じることとは宿を豫約したのと同じで、安心して生きられるといふこと、それが救ひなのだといふ、現在の生き方に主眼をおいた、ぼくは宗敎として良心的な説明だと思ひます。 

しかも、救ひは、阿彌陀佛が自らを犠牲にしてなしとげてくださつてをり、南無阿彌陀佛との念佛をとなふるものは 「佛願力に引立られて必定往生疑ひなし」、だから「此ことハりを信じて日々念佛すべきなり」と強調してゐます。

 

問題は、阿彌陀佛の犠牲といふ「ことハり(理)」の意味内容です。基督敎の場合は、イエス・キリストの十字架といふ印が歴史的にも刻みこまれてゐますが、佛教の場合の「犠牲」についてはぼくにはよくわかりません。 

けれども、救はれるために信じるのではなく、すでに救はれてゐることを信じて、安心して「家業」にはげみなさいといふのはいいですね。救はれてゐると信じることは人のたましいと心を自由にしてくれます。 

さうでなく、信じることをのみ強調して人を狂はせる宗敎が多いのには、人類の一員としておほいに恥じなければなりません。 

 

つづいて、飯嶋和一さんの 『始祖鳥記』 を讀みはじめました。冒頭から五、六〇ページほど讀み進んだところですが、實に濃厚で、段落ごとに短編小説を讀んでゐるやうな感じです。もちろん物語はつづいていくのですが、峠を越えるごとに景色が變はるやうに、その部分をかぎつて讀むだけでも胸にせまつてくるものがあるのです。 

主人公の少年を陰から支へはげます卯之助がまた實にいい。旅の繪師であり、砂繪をよくして毎年きまつた頃にやつてきては主人公に珍しいはなしをしたり、「南蛮の銭」をくれたりします。そのへんのくだりにはぼくも胸が熱くなりました。 

砂繪といへば、丸谷才一さんの 『笹まくら』 のなかで、「戦争中、徴兵を忌避して日本全国に逃避の旅をつづけた杉浦健次こと浜田庄吉」が、砂繪の稼ぎで食べてゐたのが思ひうかびました。ぼくも、神社かどこかで實演を見た記憶がありますが、とても不思議な感じのする繪です。 

はなしが脱線しましたが、當然、本書のめざす目的といふか著者の意圖が貫かれていくのでせうが、つんのめるやうに解決をめざして先へ先へと急いでいく類の小説とは質的に異なる感じがいたします。滿ち足りた氣持ちになります。しかも豐かな豫感を殘しながら。 

このあたりに飯嶋和一さんの魅力があるのかも知れません。 

 

今日の寫眞・・・『日課念佛勸導記』 のうち、「聖道門」と「淨土門」について書かれてある頁。それと、『始祖鳥記』・『日課念佛勸導記』・『初雁』。 『初雁』はこれから讀む豫定の森銑三さんの人物研究です