十月十六日(火)辛巳(舊九月八日) 曇り

 

 『源氏物語〈須磨〉』、靑表紙本で八六頁に至り、やつと明石の入道の登場です。ここまでは、須磨に流されたといふか逃れてこざるをえなかつた愚痴やら同情やら悲しびやらが延々と語られてゐて、いささかうんざりでした。以後の展開が樂しみです。 

 

それと、飯嶋和一さんの 『始祖鳥記』 が讀み終はつてしまひました。終はるのが惜しくてすこしづつ讀んできたのですが、それなりに學ぶことも多く、とくに、親方が弟子や使用人らを教育といふか、技や知識を叩き込むその描寫には鳥肌がたつ思ひでした。 

例へば、主人公らが乘る樽廻船が、遠州灘を航行中に臺風にあひ、それをいかに切り抜けるかを、楫取(かじとり)が水主(かこ)たちに、地圖と時計と磁石と六分儀の使ひかたを敎へながら乘り切る場面は壓卷です。ぼく自身はじめて知ることが多く、緯度と經度の見方と北極星がなぜ航行に大事な星かもよくわかりました。また、入齒作りを女弟子に敎へるところも興味深いものがあります。とにかくよく調べて書かれてゐます。

 

こんなにわくわくとして歴史を學んでいいのだらうか、いややはり小説にすぎないのではなからうかなど、考へないわけではありませんでしたが、ぼくはことあるたびに歴史年表と地圖に照らして讀み進みました。もし言ひすぎてゐるところがあるとしたら、それは飯嶋さんなりに強調したいからであつて、歴史的事實を曲げたり、脱線したりはしてゐないとぼくは信じて讀むことができました。

 

本筋とは離れますが、最初の出來事の舞臺は岡山で、ぼくの友人をたずねて何度か行つたこともあるのでイメージをかきたてられました。さらに後半では靜岡が舞臺。伝馬町やら、江川町やら両替町、紺屋町、呉服町に七間町までが出てきて、計十一年間淸水市と濵岡町に住んでゐたので、なつかしく讀むことができました。しかも、主人公が、「始祖鳥」のごとくに、淺間神社裏の賤機山の中腹から、安倍川に向つて空を飛ばうといふのですからこたへられません。

 

「飯嶋和一にハズレなし」と賞されてゐるやうですが、ぼくもさう思ひます。ところが、數年に一册程度の執筆でして、今まで八册しか書いてゐません。『始祖鳥記』 はその五册目で、今のところ、あとは、『黄金旅風』 と 『狗賓童子の島』 と、先日求めた 『星夜航行』 があるだけです(註)。 

 

註・・・飯嶋和一 (いいじま・かずいち) 1952年山形県生まれ。法政大学文学部卒業。中学校教諭、予備校講師などを経て執筆活動に専念。1983年 『プロミスト・ランド』 で第40回小説現代新人賞受賞。1988年 『汝ふたたび故郷へ帰れず』 で第25回文藝賞受賞。2000年 『始祖鳥記』 で第6回中山義秀文学賞受賞。2008年 『出星前夜』 で第35回大佛次郎賞受賞。 他著に 『雷電本紀』、『神無き月十番目の夜』、『黄金旅風』 がある。さらに、小学館より 『狗賓童子の島』、新潮社より 『星夜航行』 を上梓。