十月十七日(水)壬午(舊九月九日) 曇天

 

今日はペースメーカー外來で診てもらふための通院でした。 

診察は午後。病院に着いたのがお晝どきだつたこともあるでせうが、ロビーや通路に點滴注射をしたまま、點滴スタンドをごろごろいはせて歩いてゐる方を何人も見かけました。ぼくが心臟の手術をした四十年前、手術をする前の入院中、およそ一三〇日間、毎日二十二時間點滴注射をして、ベッドから離れることができたのは、朝の二時間だけでした。それを思ふと醫療機器や藥だけでなく、患者の入院生活そのものも格段の自由が得られるやうになつたのだなと、今さらながら感心してしまひました。 

ペースメーカー、心電圖の結果も順調でした。最近は不整脈もなく、電池もあと六年はもつさうです。循環器内科でいただいた藥があはなくて、先月はたいへんつらい日々でしたが、それをやめてからはとても調子よく、このままあと六年はがんばつていけさうです。次回のペースメーカー外來は來年の七月です。

 

今日こそは馬刺しを食べなければなりません。馬刺しの店「馬喰ろう」は、病院と日比谷圖書館とのなかほどにあるので、夕方まで日比谷圖書館で讀書することにしました。ところが、自由に出入りできる圖書館は、「日比谷圖書文化館」といふのですね。 

「茶褐色のタイルで覆われ、中央に時計塔を配した線対称のデザインとなっている」ご立派な建物のはうは、「市政會館」ださうです。まあ、地圖を見ればさう書いてありますが、ぼくはずつとそれが圖書館だと思つてゐました。思ひ込みといふものは恐ろしいものです。

 

で、その圖書文化館で三時間ばかり讀書。閲覧者が多くて、やつとのこと、三階の窓邊の椅子を確保できました。周りを見ると、みな何をしてゐる人たちなんでせう。サラリーマン・ウーマンたちがほとんどで、しかもみな席を立たうともしないで本をよんでゐます。仕事はないんでせうか。 

ぼくは、加藤周一さんの 『富永仲基異聞―消えた版木』 を讀みました(註)。富永仲基はなかなかするどい思考の持ち主で、佛敎も儒敎も、そして神道をも批判してしまつては、身の置き所がなかつたでありませう。

 

五時になつたら周りの方たちが動きだし、ぼくも馬刺しを目指さうと思つて一階までおりてくると、《特別展 江戸から東京へ ~江戸城無血開城から東京の新たな幕開け~》 といふのが開催されてゐたので、手帳を見せて入りました。ところが誰もをらず、薄暗いなかの展示物を、一應は見ましたよといつた取り繕つた歩き方で出口から出ようとしたら、右手奥に、「明治から幕末へタイムトリップビュー 日比谷図書文化館開館5周年記念 〈Time Trip View ニコライ堂 大名屋敷のある風景~360度CG復元幕末の町~〉」 に目が引かれ、入りますと、明治二十一年だかに、ニコライ堂の上から撮つた十三枚の寫眞をもとに、江戸の町並みを再現したパノラマ寫眞が展示されてあつて、ぼくはそれに見とれて、しばらく佇んでゐたら、係員が怪訝さうな顔をしてのぞきにきたのには、はつとさせられました。一見の價値、二見の價値ありと思ひます。

 

さてさて、それから祝田通り經由で西新橋にもどり、明るく燈火のともつた「馬喰ろう」にたどりつくことができました。五時もだいぶ回つてゐたのに、ぼくが初の客だつたやうで、氣のいいお兄さんに案内されていい席に着くことができました。とりあへず、馬刺し五種盛り合はせとご飯をたのみ、どれがどのやうな部位の刺身なのか、目で見て、舌で味はつて美味しくいただくことができました。次回は、特選さくらユッケを注文しようかと思ひます。

 

註・・・『富永仲基異聞―消えた版木』・・ 本書の著者加藤周一は1919年東京生まれ。いわずとしれた日本を代表する評論家・知識人である。さて、本書は加藤周一の初の書き下ろし戯曲である。作者が戯曲の世界に入り込み、本居宣長と対談をするような、ユーモアたっぷりの仕掛けがある知的な戯曲が楽しめる。舞台は江戸時代、神教(神道)・仏教・儒教の三教を根源的に問い直し、批判する学問を進める富永仲基に、行く手をはばむ大きな力が立ちふさがる。富永仲基は31歳で世を去るが、あとに残る者は「しかし富永仲基は種を播いて去ったのだ。一度播いた種は、長い冬に、霜にも風雪にも堪え、いつか必ず目を出すだろう。その芽は広い、高い青空へ向って、どこまでも伸びていくだろう」と語る。78歳にして、未踏の戯曲の世界に挑戦する加藤周一の若々しさには、ひたすら敬服するしかない。 

 

今日の寫眞・・・三階閲覧室から見た帝國ホテル。右が市政會館の後部。「特別展 江戸から東京へ」のポスター。つづいて、「馬喰ろう」の店先と馬刺し五種盛り合はせ