十月廿日(土)乙酉(舊九月十二日・土用) 曇り、夕方雷雨

 

今日も古本散歩。神保町と五反田の古書會館で開催中の古本市をめぐり歩いてきました。近ごろはもつぱら和本に興味が集中してをりまして、今日もぼろぼろですが、數册のれつきとした和本を掘り出すことができました。

 

神保町で見つけたのは、まづ、『繪入勸學院物語 上』。寛文九年(一六六九年)の刊本ですが、これは昭和五年に「稀書複製会」にて複製されたものです。「室町期を中心に生れた絵入りの短篇物語群」である室町物語の一册で、『雀の草子』 といふ別題をもつ江戸前期の短編物語です。 

「物語の前半は勧学院の破風から落ちた小雀をめぐる烏と蛇の争論。親雀が割り込んで小雀救済。と思いきや、猫が闖入し、親雀と争論。その勝利。スズメ、カラス、ヘビ、ネコという人里に近しい動物を主要キャラクターとして登場させて繰り広げられる言葉争いの物語となっている」。これが三〇〇圓。

 

つづいて、『聖學自在 中』。新井白蛾といふ江戸中期の儒學者の著書です。三卷あるうちの「中」だけですけれど、「漢学 学問論 運 天命 出産等 教訓」 とある内容ですので、拾ひ讀みができさうです。文化十三年(一八一六年)、著者没後の出版です。 

さらに、『雨のはれ間』。虚白齋(鎌田一窓)著、天明六年(一七八六年)自序刊、二册のうちの上巻です。 

神保町での四册めは、『般若心經和訓圖繪 上』 です。山田野亭といふ人の著で、畫圖川半山。序文にあたる 〈心經起源〉 のはじめのところ讀んだだけですが、なにやら波亂萬丈めいて面白さう。 

 

神保町驛から三田線で三田驛のりかへ、五反田へ直行し、さらに和本を探索したところ、ありましたけれど、神保町や高圓寺よりさらに劣るといふか、ごみ溜め漁りの感が強くいたしましたが、見つけましたよ。六月十六日に求めた 『新約聖書約翰傳』(ヨハネ傳) につづく、『新約聖書希伯來書』(へブル書) です。それがまあ、題簽もなく下部はかじられたやうな缺落がありましたが、讀むにはさしつかへないやうですので入手しました。『約翰傳』 とくらべたら、一〇〇分の一のお値段でした。 

最後に、『西要抄 上』(註)。これこそもうゴミと言つてもさしつかへないぼろぼろ本です。けれど、どうにか讀めるので購入しました。どんな謂れがある和本なのかわかりませんが、ここで手放したら永遠に入手できないでありませう。さう思ふと、二〇〇圓でしたし・・・。 

 

註・・・『西要抄』を調べたら、以下の、『歸命本願抄』 と言ふ書との關連で述べられてゐましたので、寫しておきます。 

『歸命本願抄』 は、浄土宗清浄華院第五世 向阿証賢(こうあしょうけん)上人(1265?~1345?)の作とされる。元亨年間(13211324)成立。「帰命本願鈔」3巻・「西要鈔2巻・「父子相迎」2巻などがある。和文で、浄土宗の教義を説く。 

蓮如上人の次女、見玉尼は縁あって浄土宗浄華院に喝喰に出されていた。吉崎建立の頃、上人の膝下へ戻ったといわれる。蓮如上人は、この見玉尼の縁で 『帰命本願抄』 を読まれ、請求(しょうぐ)の意味のタスケタマエを、許諾の意味に転じて「お文」(御文章)で使い出されたのではないかと聴いたことがある。なお、本文の「悪人をさきとすべし」(悪人為先)とか、「悪人をもて本とすべし」(悪人為本)のように悪人正機説を示すような言葉にも注意すべきであろう。三心料簡および御法語にある「善人尚以往生況悪人乎」(善人なおもって往生す況や悪人をや)という悪人正機説は、法然聖人から伝えられたお言葉だったのである。 

 

今日の寫眞・・・和本専門の大屋書房。良し高しでぼくには手が出ないものばかりです! でも今日は勇気をだして入つて、『翁の文』 を探してもらつたのです。が、普段出回ることのない本といふことでした。いや、よかつたですよ、ありましたなんて言はれたら、二萬も三萬もしたんぢやあ、斷はるに斷はれませんからね。 

つぎは、『新約聖書希伯來書』。六月十六日に求めた 『新約聖書約翰傳』 が、Hepburn, J. C. (James Curtis) 譯、1872(明治5)年出版でしたから、それにつづいて譯されて出版されたものでせう。端が齧られて缺けてゐますが、讀むのには影響なささうです。200圓で求めましたが、ネットの日本の古本屋では、一六二〇〇圓でした!

 

『西要抄』 の冒頭を活字にしてみました。ついてこれる方はどうぞ。 

「すきにしなか月の廿日あまりのころ、いささかふるき願(くわん)ありて、淸凉寺に參籠の事侍(はんへ)り、きみさりかすかにとき秋なれは・・」 とまあこのへんにしておきませう。