十月廿二日(月)丁亥(舊九月十四日) 快晴

 

今日は妻のおともで、日本橋の高島屋に行つてきました。妻は、ぼくに似合ふ服があるとすぐ買つてしまふのが癖なのか性分なのか、それともぼくを思つてくれてゐるからなのでせうか、今回も、先日見た服が、ぼくが氣に入るかどうか一緒に行つて見てほしいといふのです。問題は色でした。紺でもない、黑でもない、褐色でもない、灰色でもない微妙な色合ひで、これは好きか嫌いかで判斷するしかないと思ひました。で、もちろん氣に入りましたので買つてもらふことにしました。めでたしめでたし。 

 

昨日から讀みはじめた富樫倫太郎著 『風狂奇行』 を一氣に讀んでしまひました。データによれば、「奈落の底から這い上がり、学問一筋に生きた江戸時代の天才仏教学者・富永仲基。その波乱万丈に富んだ人生を、作中人物の内面へと錨を降ろして描く歴史長篇小説」 といふのですけれど、たしかに江戸時代中期の學者の生き方が描かれてゐました。ただ、仲基はただの佛敎學者ではなく、儒敎學者でもあり、神道學者でもあつて、その比較檢討ができたといふ點に彼の獨自性があつたと思ひます。が、それゆえに當時の佛・儒・神からは敵視されて苦しんだのでした。また、仲基の著作については詳しく書かれてゐないので、いづれ 『翁の文』 を、できれば變體假名の原文で讀んでみたいと思ひます。 

 

さて、『源氏物語』 の十三卷目〈明石〉も讀まなければならないし、ちよいと併讀書といふか讀みたい本が多くなつてゐますが、ぐづぐづ言つてゐるひまはありませんので、とりあへず手に取ることにします。 

でも、明日は、川野さんと上州路を歩きます。日本に二か所しかなかつたといふ「縁切り寺」のひとつとはどういふところなのでせうか。樂しみです。 

それにしても、この春先から夏の終はりにかけての具合の惡さはなんだつたのだらう。もう明日をも知れぬといふ感じでゐたのが夢のやうです。まあ、油斷はしませんが、とにかくやりたいこと、やれることをやり殘すことなく日々を前進のみ!