十月卅日(火)乙未(舊九月廿二日) 晴
今日も 〈明石〉 を讀んで過ごしました。すでに九〇頁を過ぎ、殘りは十數頁になりました。
そこで、ぼくがなぜ變體假名の「靑表紙本」で速く讀めるかといふコツを書いておきます。
それは、もちろん變體假名になれてきたことと、「靑表紙本」の文字にもなれ親しんできたからではありますが、參考書にもお世話になつてをります。『日本古典文學全集』(小學館) と 『新潮日本古典集成』(新潮社) の二册です。
しかも、今日の寫眞(の中央の本)を見ればわかるやうに、全六册二千圓で手に入れた小學館の全集は、どなたかが使用された本で、多少汚れてはゐますが、どうです、エンピツで書き入れがなされてゐるのがお分かりでせうか。しかも克明にです。きつと大學やらカルチャースクールやらでなされた講義に出られ、講師の言ふままに書き入れたのでせう。それも、六册すべてにわたつてなのです! 熱心といふか律儀といふか、忍耐強い方ですね。文字からして女性だと思ひますが、いつたい何年かかつて讀破されたのでせうか。會つてみたい!
ところで、寫眞の三册は、右端の「靑表紙本」と同じ個所が開かれてゐます。七行めまで書き出してみませう。
「かたみにそかふへかりけるあふ事のひかすへたてん中の衣を」 とて、心さしあるをとて、たてまつりかふ。御身になれたるともをつかはす。けに、いまひとへしのはれ給へきことをそふるかたみなめり。えならぬ御そにゝほひのうつりたるを、いかゝ人のこころにもしめさらむ」
赤い文字は、全集本にはあつても「靑表紙本」にはない文字です。しばしば目につきます。
すべて、句讀點も濁點もありませんが、句讀點だけは全集本にならつて書き入れておきました。
また、左の『新潮日本古典集成』本の下に、94と書き入れてありますが、これは「靑表紙本」の頁です。これを書いておくと、全集本と「靑表紙本」をすぐさま對照できるのであります。
それで、『日本古典文學全集』(小學館)を讀み通した方ですが、講師が語つた細かいところまで書き入れてあるので、全集本の頭注や現代語譯では漏れてゐるニュアンスを傳へてくれるのがなんともありがたく、ご一緒に講義を聽講してゐるかのやうです。
もとの持ち主の方は、ご自分の名前も、讀んだ日付も記入してゐません。ぼくとしてはまことに殘念で、感謝の仕樣もありません。ただ、便利さのために、ぼくは卷ごとに切り分けて使つてゐるので、申し譯なく思ひながらも、これを役立てるのがぼくの今のお仕事であると思つてをるのであります。はい。