八月三日(金)丁卯(舊六月廿二日) 晴、猛暑

 

今日も猛暑。ベッドに横になつたり、安樂椅子に座つたり、または書齋の文机にて、〈夕顔〉 と 「眠狂四郎」 を交互に讀みふけりました。 

 

夕顔は、「なにがしの院」といふ、「おそらく源氏の別荘の一つで廢屋のような所」で、たうとう無言のまま冷たくなつてしまひました。その場面です。 

 

「夜になつて、すこしうとうとなさつたころ、枕がみに美女が現れ、『あたしがお慕ひしてゐるのに訪ねようとなさらず、こんな女と遠出してかはいがるとは、心外でございます』 と言つて、源氏の君のかたはらの女を引き起さうとするのが見えた。もののけに襲はれた心地でお目覚めになると、明りが消えてゐる。氣味わるくなつて太刀を抜き、枕がみに置いて(刀の呪力で魔をはらふ)、侍女の右近に声をおかけになつた」(丸谷才一譯)

 

「まださう深更でなかつたに違ひない。寢室へ歸つて、暗がりの中を手で探ると夕顔はもとの儘の姿で寢てゐて、右近がその傍でうつ伏せになつてゐた。 

手で探ると夕顔は息もしてゐない。動かしてみてもなよなよとして氣を失つてゐるふうであつたから、若々しい弱い人であつたし、何かの物怪にかうされてゐるのであらうと思ふと、源氏は歎息されるばかりであつた。蝋燭の明りが來た。 

灯を近くへ取つて見ると、この閨の枕の近くに源氏が夢で見たとおりの容貌をした女が見えて、そしてすつと消えてしまつた。昔の小説などにはこんなことも書いてあるが、實際にあるとはと思ふと源氏は恐ろしくてならないが、戀人はどうなつたかといふ不安が先に立つて、横へ寝て、「ちよいと」 と言つて不氣味な眠りからさまさせようとするが、夕顔のからだは冷えはててゐて、息はまつたく絶えてゐるのである。 

賴りにできる相談相手もない。右近に対して強がつて何かと言つた源氏であつたが、若いこの人は、戀人の死んだのを見ると分別も何もなくなつて、じつと抱いて、『あなた。生きてください。悲しい目を私に見せないで』 と言つてゐたが、戀人のからだはますます冷たくて、すでに人ではなく遺骸であるといふ感じが強くなつていく。右近はもう恐怖心も消えて夕顔の死を知つて非常に泣く」(與謝野晶子譯)

 

源氏は呆然となるばかりでありましたが、ふと我に返り、滝口を呼んで、「直ぐに惟光の泊まつてゐる家に行つて、早く來るように命じてくれ」 と叫ぶのでした。 

 

つづいて、今日屆いた服部さんのからのメールです・・・

 

「7月5日から23日までフランスを旅してきました。フォンテンブロー宮殿、バルビゾン村、ジベルニー村のモネの庭、ストラスブールの街、美しい村クレモン、ピレネーの渓谷、バスク地方の海沿いの町など、どちらかといえばマイナーところを、娘の車で回ってもらいました。あとは娘の旦那の実家に泊めてもらって、空を仰ぎ、小鳥の声を聴き、爽やかな風に吹かれてきました。この頃、日本は酷暑の日々であったことをあとで聞きました。 

旅行中読んだ本は、城山三郎の 『黄金の日々』、ロック、ヴォルテールの 『寛容論』、こちらはまだ読みかけですが、『黄金の日々』 は、飯島和一の新刊、『星夜航行』(新潮社刊、上下2冊)との関連で読みました。まだなら、おすすめです」

 

また、讀む本が増えさうです。ただ、『寛容論』 はすでに手に入れてはをります。