八月五日(日)己巳(舊六月廿四日・下弦) 晴、猛暑

 

ところで、光源氏の枕がみに現れた美女とは誰でせうか。「あたしがお慕ひしてゐるのに訪ねようとなさらず、こんな女と遠出してかはいがるとは、心外でございます」 と言つて、源氏にうらみごとを言ふくらゐですから、よほど親しい女に違ひありません。 

丸谷才一さんは、『光る源氏の物語』 の中で、「ここのくだりの描写は、一つには、六条御息所への後ろめたさがあるわけです。後ろめたさを感じているときに夕顔の死が出てくるということは、あとで六条御息所の生霊がもっと露わに出てくる伏線になっていますね」 とおつしやつてゐます。 

ご存じのやうに、「六条御息所の生霊がもっと露わに出てくる」のは、〈葵〉の卷でありまして、光源氏の妻、葵の上は六条御息所の生靈によつてとり殺されてしまひます。伏線にしては、第四卷と第九卷とでは間があき過ぎのやうにも思ひますが、「紫上系」(十七帖)の物語の隙間に挿入して、物語をよりダイナミックにしてゐるとは言へるでありませう。 

 

我が家の周りにはノラネコが十數匹をります。むろんねぐらも用意し、食事は十二分に與へてをります。が、だんだんわかつてきたことは、基本的生活を備へてあげても、縄張りを意識してか、たまに顔を見せるよそ者にはいい顔しません。食べる邪魔をしたり、ネコパンチを食らはせたり、追ひかけたり、そのたびに妻は意地惡をするネコを叱つてをります。 

うれしいのは、ラムを知る唯一の寅ちやんがやつと居ついたことです。一時捕獲した後に逃走してからは、しばらく姿を見せず、あきらめてゐたところに再びやつてきて、備へたねぐらに寢泊まりするやうになつたのであります。それでも、定住するまでには意地惡をされてゐましたけれど、妻とぼくが 「寅ちやん、寅ちやん」 と呼びかけては親しくしてきたので、いまでは一匹オオカミではありませんが、他の誰とも親しくしてゐませんけれど、一目置かれてゐるやうな存在になつてゐます。 

また、同じ親から生まれた同士で仲のいいのもゐれば、顔をあはせると威嚇しあふのもゐますし、仲のいいのはいいんですが、その二匹が一緒になつて意地惡をしてゐるのを見たりしますと、一律にみなかはいいとは言へない氣持ちにもなります。 

みな不妊手術を施してありますし、病氣のやうであれば藥を與へたり、最期を看取つてあげるのも忍耐と努力が必要です。ただ可愛いといふだけでは繼續しないでせう。 

今日も一匹捕獲され、明日病院へつれていくために、我が家で預かつてゐます。

 

ちなみに、「地域猫」とは、「地域内に住んでいる猫に不妊や去勢の手術をして、将来的に飼い主のいない猫を減らすことが目的。エサやりの場所を決め、地域住民で排泄物の処理や掃除をするなど飼育管理する。野良猫の増加防止とともに殺処分を避け、命を最後まで見守る」 といふことです。 

 

今日の寫眞・・・一匹オオカミの寅