正月卅一日(金)壬寅(旧正月朔日・朔) 晴れ
昨夜はおそくまでかかつて、昨年十二月からはじめた「しゅみくら日記」と「ひげ日記」のすべてを整理し直しました。文字(フォント)を統一し、写真の載せ方もみな同じにしました。これで気分も整理され、これから、また新たな気持ちで「ひげ日記」が書けさうです。
さて、今日は、ひと月前から予定されてゐた「合同新年会」でした。日光街道を歩いた仲間の「いくいく会」と、現在進行中の中仙道を歩いてゐる「仙道会」の仲間との、合同の新年会でした。はじめ、四人と四人だから、会食の予約の人数は八人と思つてゐましたが、何のことはない七人でした。ぼくが両方に掛け持ちしてゐたのを勘違ひしてゐました。自分を勘定に入れずと言つたのは、宮沢賢治でしたけれど、ぼくは自分を両方に入れてしまひ、なんとも恥ずかしく、反省してゐます。
ところで、会食は午後五時半からでしたが、紅一点の地元の泉さんの発案と計画で、「築地・明石町小さな街歩き」をしようといふことになりました。地下鉄日比谷線の築地駅で四時半に待ち合はせ、すぐみなさん打ち解けたはいいのですが、泉さんの作つてくれた「コース」を見てビックリ! 二十か所巡るといふのです。ぼくはもちろん、みなさんも目が丸くなつてしまひました。せいぜい数か所と思つてゐたからです。ですが、泉さん、幼稚園児を引率するやうに、足早に歩きはじめました。まづは、記念にと、東本願寺で集合写真を撮りました。それからです。行程順に記していきます。( )内は、ぼくの感想と追記。
築地駅。サリン事件のときの現場。(新大橋通りは、倒れ伏す人々で道路がふさがれたといひます)
築地小劇場跡。
鶏肉屋 宮川商店。外壁に注目! 銅板葺きの民家で装飾有り。
角地の民家。宮川商店とは少し違う。
築地川、あかつきはし。昔は川であった。「あかつきはし」とは、築地小田原町と築地明石町が入り組んでいました。(このあと、浅野内匠頭邸跡碑と芥川龍之介生誕の地碑を見て:)
女子学院発祥の地。石碑は天然石です。
日本近代文化事始めの地。慶應義塾発祥の地。解体新書「蘭学の泉はここに:」。(蘭学事始めの碑ですね!)
セント・ルーカス大学庭園。立教学院発祥の地。
トライスラーハウス。アメリカ公使館跡石像。
セント・ルーカス教会。建て替え時には保存されて、当時のまま今日に至つています。(このあと、聖路加病院の礼拝堂を外から見学しました。また、築地外国人居留地跡も確認!)
カトリック築地教会。地元民は、セント・ヨゼフ教会と呼んでいます。セント・ルーカス教会より時代ものです。
明治学院発祥の地。
女子聖学院発祥の地。
青山学院記念の地。海岸女学校。(まつたく知りませんでした。明学も青学も、築地から始まつたんですね。いや、築地は、我が国にとつての、西洋文明発祥の地だつたんです。よくわかりました)
ヘンリー・フォールズ住居跡。盲人の指導や指紋の研究。
ルーカス・ガーデン。アメリカ公使館あと石像。トライスラーハウスはこのあたりにありました。木戸の向こうに屋根が見えて樹々に囲まれていたのです。
中央区立複合施設館内4F、郷土資料館。5F、プラネタドーム。
あかつき公園。シーボルト胸像。なんで、イネではないかと不信がつのるのです。築地産院は、女子学院発祥の地あたりにありました。都立です。
町の由来。(植木の藪の中にあり、案内されなければ気づかないところにある)
電信創業の地。電信創業記念碑の由来。(そばにある、「月島の渡し跡」碑も確認)
以上です。
会食場所の「はじめ鮮魚店」には五時三十五分到着。いやあ、これは、トウシロの技ではないですね。計算しつくされてゐます。泉御姉さまには感服いたしました。ですから、その後の乾杯とお刺身や煮物、最後の海鮮カレーまで、息もつかせぬ、でない、だいぶお喋りに花を咲かせながらいただいて、大満足のひと時をみなさんと享受いたしました。
もちろん次回の予定もたてました。桜咲く季節に、築地を中心とした、さらなる歴史探訪をしようといふことになつたのです。築地を離れられないのは、「はじめ鮮魚店」での会食なしには考へられないからであります!
今日の写真:「築地・明石町小さな街歩き」より、あくまでも抜粋です。東本願寺と乾杯現場は、七人の歴史侍です(左から、川野さん、甲斐さん、大塚さん、森さん、泉さん、日野さん、そしてぼくの七人)。