七月二日(月)乙未(舊五月十九日・半夏生) 晴、猛暑
今日はピイカン、ぬけるやうな靑い空。朝食後、齒醫者への行き歸りだけで汗が流れ出ました。
かういふ日は、讀書も修行みたいなもので、ぐつと氣持ちをひきしめなくてはなりませんでした。讀んだとも言へない量ですが、それでも、〈帚木〉の卷を讀み進み、ここで、はたと、大野晋先生と丸谷才一さんがおつしやつてゐたことが腑に落ちました。
それは、左馬頭の二つの體驗談が語られたあとのことです。左馬頭は源氏とは七歳年上のやうですが、話のあとで兄貴風を吹かせて次のやうに語つてゐます(現代語譯は、小學館の日本古典文學全集によります)。
「『私ふぜいのお粗末なご忠告をお用いになって、浮気でなよなよしているような女にはご用心なさいませ。そういう女は間違いを起こして、相手の男がばかだという評判までも、きまって立ててしまうものです』と、忠告する」
そこで、頭中將と源氏がどのやうな反應をしたか。まづ、中將ですが、「例によって、うなずいている」といふ樣子です。では源氏はといふと、「少し薄笑いをして、そういうものだなと思っていらっしゃるご樣子である。『どちらにしても、人聞きのよくない、間のわるいお話だな』と、おっしゃって、皆で笑っていらっしゃる」。といふ反應です。
ところが、これを、與謝野晶子譯で讀むとだいぶニュアンスが異なるのです。
「少し微笑んだ源氏も左馬頭の言葉に眞理がありさうだと思ふらしい。或ひは二つとも馬鹿馬鹿しい話であると笑つてゐたのかも知れない」
さう、源氏にとつては馬鹿馬鹿しい話だつたのです。なぜかならば、ここで大野晋先生と丸谷才一さんの話に戻るのですが、源氏はこのとき、〈帚木〉の卷の前にあつたと想定される、〈かかやく日の宮〉の卷で、義母藤壺とのあひだに「實事」(性的交渉)があつて、まだその餘韻にひたつてゐたからである、といふのです。
「丸谷 つまり、藤壺を忘れられないから、とてもそんな女性論にはおかしくって付き合っていられないのだ」。
さらに、「つまり、源氏と藤壺の関係がすでにあったということを考えれば、ドラマティック・アイロニーが生じて、『雨夜の品定め』 のあの退屈さが急にぐっと魅力あるものに変わる」とも言はれ、大野先生は、それにこたへて、「いま丸谷さんは 『かかやく日の宮』 があったと仮定されたけれども、・・・ずっと全体を読んでみれば、朝顔の姫君と六条御息所と藤壺とにはじめてどうやって会ったか・・・、時間的な秩序からいえば、「帚木」のこの話の段階では、それがすでに分っていなければおかしいんです」。と言つて、『かかやく日の宮』 があつたことを肯定していらつしやるのであります。
源氏のちよつとした反應が、『かかやく日の宮』 の卷を想定するといふ話にまで廣がつてしまひました。大野先生と丸谷さんの 『光る源氏の物語』 は、謎解きの連續です。讀み返すたびに理解が深まつてゆくこと請合ひです。
今日の 『ぢざうわさん』 第三回目。昨日の寫眞の翻刻です。
〇たいもつごすいのかなしみも (退没五衰の悲しみも)
みなこれくはたくのほのほにて (皆これ火宅の焰にて)
〇このときたれをかたのむべき (此時誰をか賴むべき)
そのくをたれかはたすくべき (其苦を誰かは助べき)
ただねが(はくはぢざうそん (ただ願はくは地藏尊)
まよひをみちびきたまふべし (迷ひを導き給ふべし)
ゐんぐわのだうりさだまりて (因果の道理定まりて)
のがるるたよりなかりけり (脱るる便り無りけり)
今日の寫眞・・ 『ぢざうわさん』 三、四丁にわたる頁