七月廿八日(土)辛酉(舊五月十六日・望) 曇天、小雨、次第に強風雨

 

いやはや我ながらとんだ早とちりをしてしまひました。いくら 『源氏物語〈夕顔〉』 を讀んでゐるからといつて、思ひ込みはいけません。そもそも夕方に花を開くからユウガオなのであつて、午前中のそれも日が高くなつたころに咲いてゐるのですから、これはユウガオではなくてヒルガオであることくらゐ常識であるべきでした。いや、昨日のユウガオの寫眞のことです。それはヒルガオでした。友人からの指摘で氣がつきました。

 

ネットの畫像には、一枚一枚名前が書かれてゐませんので、ユウガオで檢索したたくさんの畫像の中から、これもユウガオだらうとかつてに思ひ込んでしまつたのであります。ユウガオだけの畫像でいいのに、關連があるからか、あれもこれもと盛り込んでゐるのは、ネット畫像の常識でしたのに、無知とは恐ろしいと思ひました。 

 

ちなみに、「アサガオ、ヒルガオ、ユウガオ、ヨルガオは、それぞれ開花する時間帯が名前の由来になっている一日花の植物で、どの花も、七月〜九月頃の夏の時期に咲くことは共通です。ただし、アサガオ、ヒルガオ、ヨルガオは、ヒルガオ科であるのに対し、ユウガオのみがウリ科で、分類学的に全く別の植物です。 

なお、ユウガオは、同じウリ科の植物ヒョウタンに似た大きな果実を実らせることが特徴で、果実は乾燥食品のかんぴょうの材料になります」。  

調べてみるものです。ユウガオは瓢箪(へうたん)であり、干瓢(かんぺう)だつたんですね。干瓢卷も昆布巻きも大好きです。間違ひないやうに、今日は四種の寫眞を添付します。 

 

『眠狂四郎虚無日誌』 を讀み進んでゐますが、なかほどから中仙道の旅となりました。熊谷宿、高崎城下、横川の關所、碓氷峠、輕井澤、沓掛、追分宿。少し飛ばして、贄川の關所、鳥居峠、福島、寢覺床、須原、野尻、三留野に妻籠。さらに、馬籠、十曲峠、落合、中津川。再び飛んで、垂井宿と南宮の大鳥居。次いで、關ケ原宿に不破關の古蹟と藤川。みな懐かしくて、名を見ただけで、訪ねたその場所の光景がありありと目に浮かびました。 

實に樂しい二年半をかけての 《中仙道を歩く》 の旅でしたが、ぼくのからだにとつては過酷な旅でもありました。それが、現在の不調につながつてゐるのかも知れません。もちろん悔いはこれつぽつちもありません。