「四月 讀書日記抄」 (廿一日~卅日)

 

廿一日(日) 今日は、妻が母親の實家の墓地がある大磯の淨土宗大運寺からいただいてゐる 『浄土寶暦』 によると、「岡山 誕生寺会式法要(法然上人ご両親追恩会)」が行はれる日だといふことです。梅原さんの法然を讀んでゐることもあり、是非とも訪ねてみたいお寺であります。 

その梅原猛さんの 『法然の哀しみ(上)』 を讀んでゐたら、「法然はかたく戒律を守る清僧であつたことは否定できない」としつつも、法然には「高貴な女性の信者があった」、そのうちの式子内親王とはとくに親しかつたと思はれるとして、石丸晶子著 『式子内親王伝―面影びとは法然』 の説を紹介してをられたので、すぐに書庫から探し出しました。ところが、なんと文庫本と單行本の二册が見つかり、無駄遣ひを指摘された思ひでした。それはさうと、その第一章の 「伝説化した恋人定家」 と 「面影びとは法然」 はじつに説得力がありました。 

廿二日(月) 明日は久しぶりの通院日なので、今日はおとなしく過ごしました。それで、『法然の哀しみ(上)』 を讀みつづけるとともに、購入したまま山積みしてあつた和本を整理しました。 

岩波文庫の分類にならつて、《日本文學(古典)》、《日本思想》、《佛敎》 に分けました。しかし、《日本文學(古典)》 は、古事記からはじまつて、江戸時代の假名草子や浮世草子、紀行や隨筆まで含めてあるので、江戸以前と以後とに分けました。

《日本思想》 は江戸時代以降のものでは『大和俗訓』・『養生訓』、『温知政要』、『南北相法脩身録』、『東潜夫論』、『鳩翁道話』、『迪彜篇(てきいへん)』 から幕末の思想書まで、岩波文庫に収められゐる書も多い。 

一番多い和本が佛敎書です。源信、法然、親鸞、蓮如、一休などの著作とともに、「眞宗入門書」、『山海理』 や 『妙好人傳』 など。とくに、法然のものは、『選擇本願念佛集』 をはじめ、『黑谷上人語燈録』、『和語燈録』、『圓光大師法語』、などが興味深い。 

ただ、文學作品は、影印本として新刊本でも手に入るので、和本としてはそれほど多くはなく、ぼくが貴重だと思ふのは江戸時代の庶民が書き寫した 『百人壱首』 や 『心學歌集』 などの自筆寫本です。ぼろぼろで煮しめたやうな紙片ですが、どんな人が書いたのか會つてみたい。 

廿三日(火) 今日はぼくの「ご公務」、循環器内科への通院日でありまして、産休のため一年間休まれたみか先生の診察を受けました。檢査の結果が順調だつたのと、心臟の具合も一年前とかはりないと言はれたので安心しました。それで、病院を出たところの「うなぎ本丸」でうな重を自分にご馳走してしまひました。 

廿四日(水) 檢査の結果は順調だといつても、ちよいと動悸が不安なので、いつものやうに大事をとつて讀書に専念。昨日持つて出た、『豆談語』 といふ落し噺集で、挿繪の春畫が生々しい艶本を讀了。もちろん、江戸時代の本の復刻版なので、和本仕立てで變體假名が流暢。理解できる話もあれば、何が面白いのか分からないものまで多彩でした。 

廿五日(木) 梅原猛さんの 『法然の哀しみ(上)』 を讀んでゐたら、法然は源信の 『往生要集』 をよく讀むことによつて、「念佛の要は阿弥陀仏の名号を称えることである」ことを確信し、専修念佛を示されたといふ。その要點は、十門(章)からなる 『往生要集』 の第四門の正修念佛にあり、これこそ本書の中心であるといふのです。 

とすると、先日讀んだ和本の 『和字繪入 往生要集(上中下)』 は、厭離穢土と欣求淨土の二門までの内容しかなかつたので、『往生要集』 の肝心の要點を讀んでゐないことになります。これではよく讀んだことにはなりません。恐ろしいことになるところでした。 

ただし、厭離穢土門は、「地獄や餓鬼や人間の世のさまざまな苦や無常を描いてをり、古来多くの人が魅せられて、『地獄草紙』 や 『餓鬼草紙』 がつくられてきましたし、また、欣求浄土門に従って多くの極楽の絵が描かれて、多くの人々を浄土の教えに誘った」と言はれてゐるので、『往生要集』 を讀まなかつたわけでは決してないのですが、この二問は法然の關心からは遠かつたといふのであります。いやあ、勉強になりました。 

ところで、先日神保町で見かけた複製本の 『高松宮藏 堤中納言物語』(日本古典文学会) があまりにも高價だつたのであきらめました。ところが、ネットの「日本の古本屋」で探したら、同じものが その十分の一の値段で出てゐたのです。だまされたと思つて注文したら、日本書房から今日屆きました。それが店頭で見たのとまつたく同じ、ただ帙が少し日に燒けてゐたくらゐでした。 

それで、さつそく、十册ある短編物語のうちの一册め、「花さくらおる少將」 を讀んでみました。本文たつた六丁(一二頁)ですから、はじめのうちは珍しい字母の變體假名にとまどひましたが、すぐになれて讀み通すことができました。 

「花櫻折る」とは、美女を手に入れるといふ意味のやうですが、主人公が手に入れたのは、姫君ならぬ姫君の祖母である尼君であつたといふ「をこ」なるお話でした。 

 

廿六日(金) 『大齋院前の御集』 を讀み進み、やつと下卷に入る。 

また明日は 《源氏物語をよむ》 の講義。靑表紙本で、〈夕顔〉の、「源氏、空蝉や軒端の萩と歌を贈答する」と、「源氏、夕顔の四十九日の法要を行なう」の部分を丁寧に讀む。 

廿七日(土) 學習院さくらアカデミー 《源氏物語をよむ》 の春期講座の第二回。〈夕顔〉の卷の 「源氏、空蝉や軒端の萩と歌を贈答する」 までを終了。今日は受講者全員が出席。十四人にもなる、そのうち男性は四人のみ。 

じつは昨日の夕食後、妻がぼくの髪の毛が長くなつたから少し切ろうねといふのでまかせたら、切り過ぎてしまつて、むしろ後ろで結ばないはうがいいと言ふのです。でも、講義での座席はいつも一番前なので、後方のご婦人方に見られるかと思ふとどきどきでしたが、どなたも關心を示さなかつたやうで、ほつとしました。 

ところで、今日は往きに神田の古書會館を訪ね、講義後には高圓寺の西部古書會館を訪ねるといふ離れ業をしてしまひました。どうにか心臟がついてきてくれたからで、歸宅しても疲れはあまり感じませんでした。 

それも、素晴らしい和本に出會つたからでせうか。法然の 『圓光大師傳』 といふいかにも讀み込んだといふか、使ひ古したといふか、へによへによの書物ですが、内容は、梅原猛さんの著書でたびたび引用されてゐる 『法然上人行状絵図(四十八卷伝)』 といふ、法然上人没後百年のころ成立した、挿繪が豊富な和本です。でも、端本ですので、缺けた部分は同内容の岩波文庫の 『法然上人絵伝』 で補ひたいと思ひます。 

そのほか、存覺上人の 『淨土眞要鈔(本)』 と、開通上人の 『後世之土産 附録専念法語抜粋 完』 といふ寫本と版本を手に入れることができました。 

註一・・・「圓光大師」 浄土宗の開祖である法然に対して、元禄元年(一六八八)、勅により贈られた呼び名。 

註二・・・『淨土眞要鈔』 存覚上人(12901373)著  本書は、建武五年書写本の奥書によれば、『浄土文類集』(著者不明)なる書をもとにして述作されている。同書には安心上の問題点が種々あり、存覚上人は、この書の疑義のある点を修正し、浄土真宗の正統な立場より論を展開し、一宗の要義を詳論されている。本書は本末二巻に分れている。本巻の冒頭の総論にあたる部分において、まず一向専修の念仏を決定往生の肝心といい、その旨趣を善導大師・法然聖人・親鸞聖人の伝統の上に論じられている。以下巻末にいたるまで十四問答を展開して、親鸞聖人の浄土真宗の一流は、平生業成、不来迎を肝要とする旨を主として説示されている。 

註三・・・「開通上人」(16961770) 尾張生・浄土宗僧侶 13歳で剃髪、江戸増上寺祐天に学ぶ。諸国に念仏を広め歩いた。京都轉輪寺(円通寺)にて念仏道場を開く。 

廿八日(日) 夕べおそく、眠れないままに、梅原猛さんの 『法然の哀しみ(上)』 を讀了。難しいので眠りに誘はれるかなと思つて開いたところ、かへつて目がさえて讀み通してしまひました。淨土三部經のことなど、よく理解できたとは思ひませんが、法然が、「すべての衆生は極楽浄土に往生することができる」といふ、専修念佛への道を探り歩いたその努力たるや、超人的なものがあつたなと感じました。つづいて「下」に入らうと思ひましたが、積み上げた書のなかに、藤井雅人著 『定家葛』(文藝書房) が目にとまつたので讀みはじめてみました。 

本書の帶によれば、「定家と式子内親王の神秘的な恋、文と武の間に引き裂かれる後鳥羽上皇。動乱の中世京都に展開する、歌と愛のロマン。日本文学の伝統を継ぎ、さらなる未来へ! 夢幻ちりばめた定家小説」。ふ~む、これだけぢやなんだかわかりませんが、要するに、藤原定家のモノローグによる、當時の和歌史といつたらいいでせうか。 

父親の俊成をはじめ、式子内親王、後鳥羽上皇、西行、源平の爭亂を間にはさみ、鎌倉の實朝との關係、承久の亂とその後の後鳥羽院のこと等々。そこで、ふと思ひ出したので探したら、四年前に求めた、『遠島御百首注釈』 といふ、後鳥羽院の歌集の注釋書が見つかりました。隠岐の島に行つてみたくなりました。 

ただ、法然と式子内親王との關係についてはひと言の言及もありませんでした。また、出てくる和歌については、『新古今和歌集』 を、むろん變體假名本でですが、ひとつひとつ確認して讀んでみました。すると、ぼくには、『古今和歌集』 よりわかりやすいといふ印象がしました。 

廿九日(月) つづいて、石丸晶子著 『式子内親王伝―面影びとは法然』 と思ひましたが、まあ並行して、『圓光大師傳』 の缺けた最初の部分を、岩波文庫の 『法然上人絵伝(上)』 で讀み出しました。梅原さんの法然傳を讀んでゐるおかげで、述べられてゐることの内容と、事柄によつては疑義があるといふことまでわかりますので、難しい佛敎用語に注意すれば讀んでいけさうです。 

ともかく、江戸時代に印刷された變體假名の原文が手に入つたからこそ讀む氣になつてゐるので、はじめから岩波文庫で讀むかとなると疑問です。中野三敏先生の呪文(!)がよほど強烈だつたのでせう。「少なくとも江戸の一般人と同程度のスピードを以て読む能力を備えた読書人というものが、今や絶滅危惧種化している」、といふ先生の叫ぶやうな御言葉にお應へしなければ。ただそれだけです。 

註・・・中野三敏著 『和本のすすめ─江戸を読み解くために』(岩波新書) 參照。とくに、「はじめに─いま、なぜ和本か。そして変体仮名のすすめ」 と 「おわりに─和本リテラシーの回復を願って」 は必讀。必ずや心に火がつきますです。 

卅日(火) 今日は、「埼玉県立歴史と民俗の博物館」で開催中の 《特別展 東国の極楽地獄》 に行つてきました。昨日、川野さんからお誘ひがあり、期日が迫つてゐることもあつたので、急遽今日にしたのですが、生憎の雨模樣となつてしまひました。待ち合せは、東武鐵道野田線の大宮公園驛。JRを使つてもよかつたけれど、はじめて牛田驛から春日部驛乘り換へ、野田線で大宮公園驛まで行つてみました。乘り換へに時間がかからずとてもスムースでした。 

川野さんとは改札口で待ち合せ、歩いて五分ほどの博物館へ。さつそく見學しました。 

特別展の謳ひ文句は、「地獄と極楽の観念は、仏教における死後の世界観として古来人々の関心を集めてきました。戦乱や天災に幾度となく見舞われた時代の人々は、常に死を意識せざるを得なかったでしょう。人は『死後どうなるのか』ということに心を傾けました。その中で育まれたのが、苦しみ多き娑婆(しゃば)世界を厭(いと)い、極楽浄土を求める浄土信仰の美術です。時代状況の変化に伴い、浄土信仰やそれにまつわる絵画・彫刻作品は多彩な展開を見せます。本展では、中世以降の東国において、人々が、地獄極楽といった死後の世界とどう向き合ってきたのかを、埼玉県に関わりの深い美術品や歴史資料を中心に探ります。」 

みどころは、「熊谷直実蓮生ゆかりの作品が集結!」、「東国の浄土信仰の歴史をたどる」、「あこがれの極楽浄土、そして、怖いけれど見たくなる地獄の様相」の三本立て。 

まづはお約束の恵心僧都源信坐像と 『往生要集』、善導大師坐像、圓光大師坐像、蓮生法師。とくに、場所がら、熊谷直實蓮生(れんせい)登場場面の、國寶の 『法然上人行状絵図』(京都知恩院藏) の一部(『法然上人行状繪圖卷第二十七』)が展示されてゐたのには感激いたしました。 

また、東國における淨土信仰の歴史には興味深いものがありました。親鸞の淨土眞宗の陰に隠れていささか目立たない存在でしたから。 

きはめつきは、なんと言つても、「怖いけれど見たくなる地獄の様相」ですね。これでもかこれでもかといふ地獄繪圖の數多くの展示は、しまひには心にインプットされてしまいさうになりました。二股かけた男が、二匹の蛇になつた女に絞め殺される「兩婦地獄」の場面など、ぼくには男が恍惚となつてゐるやうに見えましたものね? 

あまりのめりこんだのでお腹がすき、館内のミュージアムショップ「カフェ パティオ」で、「エンマちゃんカレー(ちょっと辛目のトマトカレー)」を、と思ひましたが、普通のビーフカレーをいただきました。川野さんとは、春日部驛で別れて歸路につきました。 

ただ今讀書中の法然に關する展示内容でしたので、ことさら興味がありました。しかし、梅原さんによれば、法然自身は地獄極樂には無關心だつたやうで、状況に流されない法然さんの信念を見直してゐるところです。

 

昨夜から、『圓光大師傳(法然上人行状畫圖)』 を讀みはじめる。 

 


 

四月一日~卅日 「讀書の旅」    『赤』は變體假名本)

 

四月二日 源信 『和字繪入 往生要集 下(極樂物語)』 

四月三日 冲方丁著 『光圀伝』 (角川書店) 

四月七日 倉田百三著 『法然と親鸞の信仰(上)』 (講談社学術文庫) 

四月十二日 梅原猛著 『法然 十五歳の闇(上)』 (角川文庫) 

四月十四日 「小敦盛」 (市古貞次編 『御伽草子』 所収 三弥井書店) 

四月十五日 梅原猛著 『法然 十五歳の闇(下)』 (角川文庫) 

四月十六日 梯實圓・平松令三・霊山勝海講演集 『念仏と流罪―承元の法難と親鸞聖人』 (本願寺出版社) 

四月十九日 森詠著 『残月殺法剣 剣客相談人15』 (二見時代小説文庫) 

四月廿四日 『豆談語』 (秘本和装小型帙入り 近世庶民文化研究会より復刻) 

四月廿五日 「花さくらおる少將」 (『高松宮藏 堤中納言物語』 所収 日本古典文学会) 

四月廿七日 梅原猛著 『法然の哀しみ(上)』 (小学館文庫) 

四月廿八日 藤井雅人著 『定家葛』 (文藝書房)