九月廿六日(木)舊八月廿八日(丙寅 晴 

今日は川野さんと、出光美術館で開催中の 《奥の細道330年 芭蕉》 を見に行つてきた。芭蕉自筆の短册が多く出展されてゐたが、川野さんと頭をかかへながら解讀に没頭。その變體假名たるや、平安の假名のはうがどれだけ讀みやすいことか。くせがあるんだらうと思ふ。それを理解してなれてしまへばいいのだらうけれど、短册を追ふごとに内なるうめき聲が大きくなる。川野さんは、「變體假名の實力試驗」だとおつしやつてゐたけれど、まあ芭蕉に關しては及第點は無理。 

ただ、展示されてゐた 『西行物語繪卷』 は讀みやすかつた。實にほつとして讀み進んでしまつたほどだ。だから、讀めないからと言つてもそれは文字のはうが難しいのだと判斷しておこう。 

お晝は、日比谷公園まで歩いて、松本楼のカレーライスをいただいた。ちやうど晝時で三〇分待つたけれど、美味しく食べられたのでいいとした。 

そこからさらに新橋驛まで歩き、SL廣場で開催中の古本まつりを見た。すると、最初のテントのコーナーで、『明治維新という過ち』 の中に言及されてゐた、中村彰彦著 『脱藩大名の戊辰戦争―上総請西藩主・林忠崇の生涯』 (中公新書) が見つかり、もうそれだけで滿足。コーヒを飲み、アキバのヨドバシカメラにも立ち寄つてから、川野さんとはお別れした。

 

歸路、また菖蒲園驛そばの焼き鳥屋 “いしい” に立ち寄つて、馬刺しとレバーとタンと鳥皮まで食べてしまつた。今回も飲み物は梅酒ソーダ―割りにしたが、次回はジンジャエールにしよう。亡き父も生前入つたことのないやうなお店の常連になるのは、ちよいと氣がひけるけれど、これからは食欲がみたされるものをもつと食べなければならぬ。 

今日、九年ぶりに、お箸をさし上げたり、郵送した。喜んでいただけたらそれだけで報はれる。が、これからの作品は、いはばぼくの遺作(?)になるわけで、はたしてどれだけ作れるか、今後の攝生しだいだらう。 

 

原田伊織著 『明治維新という過ち―日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』 讀了。實に刺激的だつた。たしかに「明治維新というものの實相」を赤裸々に書いてゐる。ぼく自身にとつても、修正を迫られる事柄や人物評價にも富んでをり、新たに關心をもたらされた人物も出てきた。 

關心を向けられたのは、「脱藩大名・林忠崇」のこと。とんでもなく惡いやつだと再確認したのは、「長州テロリストのリーダー格」の吉田松陰と、その「テロを正当化した『水戸学』」とその元凶の水戸光圀のことである。光圀については、「水戸の狂気のルーツ」だと言つてゐるし、中村彰彦さんの言葉を引用して、「諸悪の根源は水戸光圀」であるとさへ言ひ切つてゐる。本當なんだらうけれど、ちよいと信じられない氣もする。 

要するに、以下は本書に關するぼくの感想だが、今日の韓國や朝鮮がもつ日本にたいする恨みがどんなものかを知りたかつたら、のちに朝鮮に攻め入つて支配した日本の軍隊=長州テロリスが、會津で行なつたた殘虐極まりない蠻行をしつかり直視してみることだ。同じか、否、それ以上のことをやつたことは間違ひない。ぼくは氣が弱いからつい目をそむけてしまふが、誰だつてまともに見ることのできる人はゐないだらう! そのやうな殘酷な目にあわされた人々や國民がいだく恨みや憎しみにたいして、ぼくら加害者側の國民として、どうつきあつていくか、自分でよく考へて判斷しなければならないと思つた。

 

*日比谷公園・松本樓前にてと、驛前の焼き鳥屋“いしい”

 


 

 

九月廿七日(金)舊八月廿九日(丁卯 晴 

今日は寢坊した。目が覺めたのが一〇時。すでに妻が猫たちにごはんを與へてくれてゐた。いい天氣なのに、結局終日木工も讀書もできずにもやもやしてゐた。 

 

 

九月廿八日(土)舊八月卅日(戊辰 くもり 

今日から、學習院さくらアカデミー 《源氏物語をよむ》 がはじまつたのだが、體調に自信がないので今期は休むことにした。ただ、先生には、御箸をさしあげたかつたので、同級生お二人の分とともに講師控室にお屆けし、その足で古本市を見て回つた。

 

付録・・・お箸の取り扱ひについて 

説明書も入れておきましたが、くれぐれも使用後、ごしごしと洗はないやうに。できれば、蛇口で口にした先だけを洗ひ、あとはティッシュでかるく全体の水分をぬぐひ、流しの上のザルなどの上に置くやうにしてください。そして、決して箸立てには入れないやうに! すぐに黒くよごれてしまひます。ちよいと先細なので、よそ見して食べていると痛い目にあひますから、お行儀よく食べませう。以上 

 

 

今日の古本市は三か所だつたが、神保町ではすべて各三〇〇圓の和本が六册。高圓寺が一番多く、先日讀んだ、半藤一利さんの 『戦う石橋湛山』 の文庫本をはじめとし、同著者の 『半藤一利 橋をつくるひと』 といふ自傳もの。それと、矢内原伊作と宇佐美英治の對談 『ジャコメッテイについて』(用美社) と、『鹿島茂が語る 山田風太郎 私のこだわり人物伝』(角川文庫) など。ところが、五反田では目ぼしいものは一册もなく、三か所合計十五册で三八五〇圓也。

 

その和本の一册 『いさめ草』 は本文四丁しかない册子で、「盤珪禅師御示」といふ表題があり、どんな内容なのか讀んでみなければわからない。 

その他の和本は、參考資料として求めたのだが、まあびつくり。『小學必讀 御恩乃卷 全』 は、明治六年九月刊。大きな字で讀みやすさうだが、ちよいとくせがある變體假名文字である。「大父母の御恩」からはじまつて、「日輪の御恩」、「泰平の御恩」、「主人の御恩」、「師匠の御恩」、「親の御恩」とつづく。全三十五丁ばかりだからすぐ讀めるだらう。 

それと、『近世紀聞』 なる時代別歴史書と思はれるもの。間がぬけてゐるが、すべて明治九年八月の刊行。初編卷之二(安政元年~同五年)と、同卷之三(安政六年~文久二年)。八編卷之二(慶應二年秋~同三年冬)と、同卷之三(慶應三年冬~明治元年春)の計四册である。挿繪も入つて面白さう。問題は、事件や事柄をどのやうにとらへてゐるかだ。 

 

 

九月廿九日(日)舊九月朔日(己巳・朔 くもりのち曇天 

夕べ、氣壓計が今までの最高値、二〇二六ヘクトパスカルまで上がつたが、今朝は二〇二四だつた。 

起きられずに、終日讀書。

 

まづ、『圓光大師傳(法然上人行状畫圖) 第四十一・四十二』 讀了。いよいよ殘りあと數卷。本卷の内容は、明禪歸依と往生。上人の没後、山門衆徒蜂起、隆寛・幸西等流刑。上人の大谷の墳墓破却、死骸が奪はれんとするとき、宇都宮入道蓮生等これを守り、遺骨を改葬、二尊院に安置されるまで。 

 

つづいて、昨日求めた三〇〇圓の和本 『いさめ草』 讀了。たつた四丁、八ページしかない小册子だが、「盤珪禅師御示(おしめし)」とあるやうに、明らかにかの有名な盤珪の敎へであつた。たしかに、「不生之佛心」といふ言葉が何度も語られてゐる。 

親に先立たれた子のなげき、子に先立たれた親のなげき。そのなげきは恨みとなつて、子を親を地獄におとしてしまふ。「嘆きのかわりに一遍の經をもよみ、念佛をも唱へ」れば、信心が起こされて、あたかも先だつたものが「知識(導き手)」となつて、ともに救はれる。と、まあ、かやうに盤珪さんがおつしやつてをります。やさしい變體假名でよかつた! 

*・・・盤珪永琢(ばんけいようたく) [16221693] 江戸前期の臨済宗の僧。播磨の人。俗姓、菅原。各地を遍歴し、郷里に竜門寺を創建。だれもが不生(ふしょう)の仏心をもつという不生禅を唱えた。 參考、『盤珪禅師語録』(岩波文庫) 

 

さらに、半藤一利・保坂正康著 『ナショナリズムの正体』 讀了。讀んでゐて次第に息苦しくなつてきた。時代が閉塞状況になつてきたからなのか、ぼくの體調が惡くなつてきたのが、いや、どつちもなんだらう! ただ、現在おかれてゐる日本の政治状況がよくわかつてきた。わかればわかるほど息苦しくなることもわかつてきた。 

敎へられたことのいくつかは、まづ、今の憲法は「平和憲法」ではない、そのやうに思ひ込んだところからなにの發展もないし、こんな退屈で、「健康で文化的な最低限度の生活を営む」こともできない平和なら壊してしまへとの反發もでてくる。實は、憲法は「非軍事憲法」に過ぎないので、眞の平和を目指すといふ表明でもあるのだ、だから平和でもない現状を見つめ、「憲法」の内實を滿たしていくことを國民は怠つてはならないのだ、といふのである。これには、ぼくも目からウロコ、まことにごもつとも! 

もう一つは、「第二次大戦に敗れた日本は、(その後)一度も戦争をしなかつた」。しかも、その復讐をしようともしなかつた。このことによつて、日本は「世界中から評価され信用を得ている」。それを、集団的自衛権といふ「他人のケンカを買って出る出る権利」をおしだしていけば、「戰後七〇年近く築いてきた国際的信用といふ最大の国益を失う」わけで、こんなバカげたことはない。 

お二人の發言はまことにごもつとも。このやうな良識ある意見すら、もしや風前のともしびなのかも知れないと思ふと、ああ、また息苦しくなつてきた! 

 

そしてさらに、『法然上人絵伝 第四十三~四十四』 を岩波文庫で讀む。和本では缺けてゐた部分で、法然の弟子たちのその後と往生までが描かれてゐた。

 

 

九月卅日(月)舊九月二日(庚午 晴れたりくもつたり 

今日の木工・・・竹箸二膳作製と、以前使用してゐて先が割れたのを一膳修繕。

 

夕べ、半藤一利著 『半藤一利 橋をつくるひと』 を一氣に讀了。讀みやすくもあり、内容は、とくに後半は、半藤さんがいかに昭和史にとりくむやうになつたかについての部分が感動的だつた。文藝春秋に入社してから擔當になり、『人物太平洋戦争』を書くに際してお世話になつた先輩の伊藤さんが、喉頭がんで亡くなられる直前に語つた言葉です。 

「『君はいい仕事をしたね。もったいないからこのまま研究をつづけなさい。あの戦争をよく知らずにいたら、日本人はまた同じ間違いを犯しかねないから』と、ほとんど出ない声をふりしぼって、遺言のように言ってくれました。これは私には非常に強く胸に響きました。ようし、こうなったら昭和史を死ぬまで離さないぞ、と大袈裟でなく思いました」。 

かうして、「同じ間違いを犯しかねない」との警鐘を鳴らす、膨大な著作が生まれつづけてゐる。 

 

 

九月一日~卅日 「讀書の旅」    『・・・』は和本及び變體假名本)

 

九月一日 半村良著 『講談 碑夜十郎(上)』 (講談社文庫) 

九月二日 半村良著 『講談 碑夜十郎(下)』 (講談社文庫) 

九月三日 半藤一利著 『戦う石橋湛山 新版』 (東洋経済新報社) 

九月四日 キース・ピータースン著 『暗闇の終わり』 (創元推理文庫

九月六日 キース・ピータースン著 『幻の終わり』 (創元推理文庫

九月六日 〈はなたの女御〉 (『高松宮藏 堤中納言物語』 日本古典文学会) 

九月七日 半村良著 『江戸群盗伝』 (文春文庫) 

九月九日 諸田玲子著 『お順 勝海舟の妹と五人の男(上)』 (毎日新聞社) 

九月十日 諸田玲子著 『お順 勝海舟の妹と五人の男(下)』 (毎日新聞社) 

九月十一日 下田ひとみ著 『勝海舟とキリスト教』 (作品社) 

九月十四日 半藤一利著 『それからの海舟』 (ちくま文庫) 

九月十六日 〈はいすみ〉 (『高松宮藏 堤中納言物語』 日本古典文学会) 

九月廿一日 坂口安吾著 『明治開化 安吾捕物帖』 (角川文庫) 

九月廿一日 〈よしなしこと〉 (『高松宮藏 堤中納言物語』 日本古典文学会) 

九月廿一日 守部喜雅著 『勝海舟 最期の告白』 (フォレストブックス)

九月廿二日 『圓光大師傳(法然上人行状畫圖) 第卅五・卅六』 

九月廿三日 『圓光大師傳(法然上人行状畫圖) 第卅七・卅八』 

九月廿四日 半藤一利・保坂正康著 『賊軍の昭和史』 (東洋経済新報社) 

九月廿五日 『圓光大師傳(法然上人行状畫圖) 第卅九・四十』 

九月廿六日 原田伊織著 『明治維新という過ち―日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』 (毎日ワンズ) 

九月廿九日 『圓光大師傳(法然上人行状畫圖) 第四十一・四十二』 

九月廿九日 盤珪禅師 『いさめ草』 

九月廿九日 半藤一利・保坂正康著 『ナショナリズムの正体』 (文春文庫) 

九月廿九日 『法然上人絵伝 第四十三~四十四』 (岩波文庫) 

九月廿九日 半藤一利著 『半藤一利 橋をつくるひと』 (平凡社)