十月四日(日)癸丑(舊八月廿二日) 晴
今朝、仕上げた、『歴史紀行五十四 中仙道を歩く(卅・前編)』 のワード版とパワポ版の兩方をそれぞれ同時にみなさんにお送りしました。
その際、あまり目覺めがよくなかつたんでせう、歴史についてああだかうだと不遜なことを書いてしまひ、あとで讀んだら顔から火が出る思ひでした。ああ、なんてばかなことを、なんて、綸言汗のごとし、だつたか、覆水盆に返らずだつたか、要するにまたみなさんに不快な思ひをさせてしまひ、厚顔無恥とは自分のことだとよくわかりました。すみません。
それで、もう何も手につかず、横になつたら夕方までうとうとと寝返りをうちながら、嫌な夢にもうなされて、嫌な汗をかいてしまふほどでした。
以下、轉載いたしました。反省のためであります。
《おはやうございます。お變はりありませんでせうか。
小生は、だいぶ變はりましたよ。とくにこの二、三年で、人生觀といふか、今何をせねばならぬのか、何が人生において大事かなんて、いろいろ考へさせられ、明らかに變はつたと思ひます。いへ、それは、毎月行はれた歴史に満ちあふれた「中仙道を歩く」旅によつてであります。
歴史は、おしなべて過去のものであると思はれてゐますが、いやいや、過去のものとしてゐるのは、怠慢な現代人でありまして、歴史は生きてをるのでありまして、ひたひたといつもぼくらの足下に忍び寄り、生き方を問ひ詰めてゐるのであります。
それを無理やりにショーケースの中に押しこめて、観賞とか、鑑賞と稱して、自分とは關はりのないことでござんす、なんて、ましてや歴史を食ひ物にしてゐる輩は、まつたく何樣だと思つてゐるんでせうか。
繰り返しますが、歴史は鑑賞(観賞)物ではありませんよ、生きてうごめいて、常に後世のぼくらを𠮟咤激勵、一人ひとりの生き様を問ひ詰め、或いは慰めをもつて語つてをるのでありまして、簡單に押しこめておけるやうなものではありませんのです。はい。
いや、また、餘計なことをおしやべりしてしまひました。》
それでも、気を取り直して、「後篇」に取りかかりました。でも、明後日の北國街道2までには仕上がりさうもありませんね。久しぶりに宿題を殘してしまふことになりさうです。
今日の讀書・・森詠著『お~い、半兵衞(四) 劍客隠密』(学研M文庫)讀了。
今日の寫眞・・今日の切り抜きと寅ちやん。